佐藤くん

天気もいいし、今日くらいはゆっくりフィッシュマンズ聴こうよ

僕は同じくらいの年齢の子たちと遊んでもあまり楽しめないまま過ごしてきた。その傾向は小学、中学、高校と上がるにつれて顕著になり、大学生になると、周りは僕よりも5〜10歳くらい上の”大人”たちばかりになっていた。


色々な人がいた。


超安定大企業で働いている人もいれば、雑誌系の企画・編集だったり、デザイナーだったり、映画の脚本家だったり、勉強ばかりしてきた僕が知らない世界で生きている人が多かった。


色々な場所で会った。


その場所は大概、暗くて、酒とタバコがあって、人が自由に揺らいでいた。そう、人は揺らぐんだよ。ライブハウスやクラブで思い思いに踊っている人はもちろん、レコード屋で盤を漁っている人や、夜が明けてファミレスみたいなところで始発を待ちながらとりとめのない話をしている時や、そういった場所へ向かって並んで歩いている時に。そういうのが格好良かった。そうやって大人の流儀を教えてもらった。

かと思えば彼らは突然、下北沢にカフェをオープンしたかと思えば、小さなクラブを出してしまったりする。僕が東京にいられる場所を作ってくれて、もちろん彼らは僕のために店を作ってくれたはずはないんだけど、帰る場所みたいなのが東京の尖った場所にできて嬉しくないはずがない。


そうして毎年、今日がやってくる。


そういう大人たちから教えてもらってフィッシュマンズを好きになって。身体の境界がなくなって、空間に溶け出していくあの感覚を味わって、その感覚を追体験することだけを目的とし生きている自分にとって、今日が特別な日にならないはずがない。

死んだことが悲しいとかそういうことじゃなくて、そう、彼の物体的な死を悲しむほど彼のことを知っている訳でもないし、彼にどうこう言えた義理もない。一方で、彼の死は僕の生であって、むしろ彼が死んだことによって僕の中では彼が強く生きていると言える、のかもしれない。勝手な話だけど、そもそも人間って勝手なもんじゃない?



どこでも勝手に生きて、勝手に死んで、勝手に生きていく。

そんな感じでいい

って言ってたよね。またね。

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