富士山

富士山から滑落した彼はあなた自身である

2019年10月30日に富士山の七合目あたりで滑落したと思われる性別不明の遺体の一部が発見された。現時点では身元確認ができていないが、この遺体は2日前の28日にニコニコ動画でライブ動画配信をしながら登頂した男性が下山途中で滑落したものであるとの可能性が高いと見られている。

下記がその配信中の動画。滑落するまでどころか、滑落中の様子すら記録されている。

彼自身のTwitterアカウントの内容やその他周辺情報によると、彼は司法浪人中の男性で、ステージ4(3という話もあるが)の直腸癌を治療しているということらしい。

また、彼の装備は雪山においては極めて軽いものであり、アイゼンやピッケルも持ち合わせていなかった。一方、Twitterを遡れば8月に真夏の富士山を半袖で登り切り、やけどでケロイド状になった肌の写真をアップしている。富士山自体は初めてではなかったが、雪山としての富士山は初めてだったということだ。

毎日のようにジョギングをしており、その距離も10km以上でペース4分台とサブ3レベル。そして70kg前後の体重を落とすことに非常に強い意思を持っているようで、強めのカロリー摂取制限を行った結果として胃腸に悪影響が出ているようだった。


さて、人ひとりの人生が終わる瞬間を、人生が終わるということを人間の物質的な機能が停止することと同義として定義するのであれば、その瞬間が全世界にライブ配信され、その直前まで弾幕コメントでやり取りしていた大勢の視聴者が目撃していた。これほどにソーシャルネットワーク時代を具体的かつ先鋭的に象徴している事例は多くない。

Twitterに展開されるコメントは、

・山を甘く見すぎ
・軽装備過ぎる
・救助する側の立場にもなって欲しい
・頭おかしいんじゃないか

というようなものが自分が見た限りでは過半数以上を占めていた。

これらのコメントを見て、この日本という国に生きる人たちの”共感”とは一体何に依拠したものなんだろうと思う。

僕はこういった事件があった時、心を動かされた時には、その当事者と関係者についての情報についてはできるだけ一次ソースに近いものを集めて関係づけていく。結果として、その当事者の置かれた環境や、思想・人生観、考え方、判断基準のようなものを(今風に言えばペルソナなのかもしれないが)、僕個人のそれらをリファレンスしながら創り上げていく。

山を甘く見て軽装備で上ったことは自業自得だということは、その結果に対して社会的な立場で言うことはもちろん正論だが、では彼がそうした理由について、その理由を生み出した彼と彼の周辺にある環境について考えを巡らそうと思う人がどれくらいいるだろうか。

社会的に常識とされることから外れた行為・行動が生じた時に、その枠組に当てはめ、それ以外を断罪し排除するという発想こそが全体主義であり、個という存在に対する冒涜であり、つきつめて考えれば「自分自身という存在に対する否定」であるということが何故分からないのだろうか。

滑落した彼は、あなた自身である。

気づいた人はどの程度いるのだろうか。

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