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”コロナ禍”という単語を使っている人のコミュニケーション力を疑え

今日は言葉、特に単語の使い方。
”コロナ禍”って使ってる人要注意。

単語の使い方で、その人がどれだけ相手と丁寧なコミュニケーションをしようとしているのかはある程度分かる。そして、相手に対して何かを伝えようとするのであれば、また、相手について知りたいと思うのであれば、単語の使い方は丁寧にした方が良い。

ポイントとしては、

(1) 自分の単語で話す
(2) 単語は開く
(3) 単語を使って話をしている時に相手の反応を見て、理解しているのかを把握する

くらい。
簡単でしょ?

さて、順番に説明していくけど、まずは例示。

何が問題か?

”コロナ禍”という比較的新しくつくられた単語使っている人、FBを含めたSNS上でも結構見かけるけど、2つのタイプに大きく分けられる。

1つ目のタイプは自分なりに意味を定義して、その意味を含ませた状態でそのまま投げてくる人たち。この人たちは、その単語の意味について訊かれれば説明できるけど、敢えてそうはしない。ある意味、聞き手を突き放して自分の世界を語る。訊けば良いんだけど、聞き手の質問力が問われる。唯我独尊(お前はお前、俺は俺)的な人に多い。

2つ目は、意味を明確に定義していないが、世間一般で使われている(と思っている)ので、特に疑いもなくそのまま使っている人たち。僕が問題にしているのはこちら側の人たちで、統計をとった訳ではないが、SNSで使われている文脈等から類推すると、恐らく多数派。

問題は後者。

意味が明確に定義されていないので、訊いても明確な説明は返ってこないにも関わらず、その曖昧な前提で文章を構成するので、話し手としての意図が受け手に明確に伝わらないため、議論にならない。すなわち、その文章は意見として成立しない。しかし、話し手としては、意見を伝えたと思っているため、(本人として)的を得ていない反応が返ってくることで、理解されていないと感じたり、不毛なやり取りで疲弊することになる。

では、どうすれば改善できるか?


(1) 自分の単語で話す

メディア等で使われている単語をそのまま使わないこと。新しい単語が出てきたら、使う前にその単語の意味について自分が第三者に説明ができるかを一度考える。そうでないと感じたのであれば、Googleなどを使って一般的に使われている意味を調べる。その上で、自分なりに意味を定義する。ポイントは正解がある訳ではなくて、多くの解釈があるということ。自分の解釈ができればそれで良い。

これができていないと、人から借りてきた単語を訳も分からず使っていることになり、結果として自分のものではない単語に使われる、すなわち他者に自分を使われることになる。


(2) 単語は開く

(1)とも関連するが、単語はできるだけ「開く」。”コロナ禍”という色々な解釈が含まれていて説明が必要な単語については、そのまま使うのではなく、自分にとっての単語の意味についての解釈を文章に挿入して話す。人は説明することに苦手意識があって、ついつい専門用語をそのまま使いたくなるものだが、文章を話しながら、専門用語が口から出た瞬間に、その単語については相手との共通的な解釈ができそうにないと感じた瞬間に、「あ、この単語の意味だけど◯◯ということね」と後からでも良いので補足する。

話ながらそんなことできないという人もいるかもしれないけど、訓練すればできるようになる。


(3) 単語を使って話をしている時に相手の反応を見て、理解しているのかを把握する

(2)でも含めたが、単語を含んだ文章を話している時に、相手の反応を確認する。声として出る相づちだけではなく五感全体で感じる。人類、特に我々ホモ・サピエンスはコミュニケーションを武器に支配的な立場を手にしているので、何万年も前からコミュニケーションについての反応はDNAレベルで刻み込まれている。表情、身体の動き、醸し出す雰囲気などに現れる。

それでも難しいようであれば、「今までのところ、意味分かった?」とか直接訊く。人は、自分が話したことが相手に理解されていないことを、まるで伝えた本人の能力不足のように感じてためらうことが多いように見受けられるが、全くの勘違い。理解し合うということは、無限にある解釈のすり合わせ、歩み寄りなので、その過程はお互いにとってフェアであることが大前提だから。これを諦めるということは、すり合わせを諦めるということであり、相手を諦めるということになる。


どう?簡単でしょ。
意識して繰り返せば簡単に無意識下の習慣としてできるようになる。

そうすると、相手とのコミュニケーションが円滑に進む。
結果、物事の効率が上がり、成果が上がり、ストレスが減る。
より良く生きられるようになる。


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