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日出ずる国の人々は利便と引き換えに意識と意思を献上し、悩めるアンドロイドとなる

音楽についてSpotifyやApple MusicでアプリがAIで自動作成するプレイリストの機能を使うことはない。動画についてもYoutubeについては知りたいことが先にあり、こちらから検索して探す行為以外で観ることはなくなり、Netflixに至ってはつい先ほど解約した。

AIのディープラーニングとレコメンデーションエンジンに基づく視聴者の好みに対する(広告も含めた)最適化が行き過ぎており、画一的で似たような傾向のコンテンツに偏るため、彼ら自身が謳うようにパーソナライズされたメディアと言うのであれば、そのメディア自体に深みや、新鮮な驚きを全く感じられないからだ。

共分散の考え方を用いてビッグデータを機械的に解析し、過去のトレンドから共通的な部分を取り出していく作業を繰り返せばこうなるのは当たり前。問題は、ディープラーニングとレコメンデーションが、過去から未来へと手を伸ばしてきていることにある。

Netflixを長く視聴していると、おすすめされる作品が似たりよったりのものになってくるのはすでに述べた通り。ポイントはおすすめ作品の中に過去の作品だけでなく、新作が含まれてくることにある。自分の好みに合った作品が次々と新しく作られていくような感覚に陥る。

ビッグデータの解析による個人の嗜好へのチューニングは、創造の世界において川下の流通・小売段階から、すでに川上の企画、制作の段階に移り変わっている。過去から今この瞬間にクリックしたことの集積が、すぐ先の未来で再現される。そして、その内容は時間を経るに従って非常に濃密なものに変わっていく。キャリブレーションが進むことで、パーソナライズの精度が加速度的に上がっていくからだ。


何を言っているか理解できるだろうか?
無間地獄が待っているということに他ならない。

過去に行ってきたことが数倍の濃度で未来に再現され続けることになるということだ。賽の河原で一人石を延々と積み上げることと何も変わらない。そこには石を金棒で突き崩す鬼すら出てこない。人生で鬼の出現を待望することがあると誰が思うだろうか。現代のストックホルム症候群という訳だ。


古巣であるNRIコンサル部隊の公式OBOG会に出た際に、ホンシェルジュの代表取締役の方がいらっしゃって、お話をさせて頂いた。こんな時代だからこそ、”人が選ぶ”という行為に価値を置いてサービスを提供していると、それが故にマネタイズはなかなか厳しいと仰っていた。


大脳皮質と視床は人間の意識を司ると言われており、それは脳の中で遠い物理的・論理的距離にある事象同士を結びつけることによって新しい意味を定義し反応としての行動と結びつける。それこそが個としての意味の発見であり、その後にようやく無意識化の行動として置き換えられる。

カオスが意識を定義する。
驚きが個を意味づける。

大多数の人は脳についてよく知らない中で、この自己を意味づけ、定義づける肝心な部分をコンピューターに任せる。利便と引き換えに。端的に言えば、刹那的に楽をしたいので、考えたり判断することから逃げることを、人は積極的に、いや無意識的に選ぶ。次の瞬間に、

やりたいことが分からない。
何をして良いのか分からない。
特に趣味と言えるものも、面白いこともない。

と言う。そう、皮質と視床をコンピューターに置き換えた時点でそれはもう「(意思を持った)人」ではないのだから。


「DJを吊るせ!」と人は言う。それでもDJはその瞬間のためにすべての感覚を研ぎ澄ませて、カオスの中から音を紡ぎ、グルーヴを生み出す。プロデューサーはコンピューターの中に腐るほど音源があるにも関わらず、グランドキャニオンの谷底に降りていき、打ち捨てられたマスタングのシャシーを叩き鳴らした音を採る。

そこに意味があるのか?と人(らしきもの)は言う。

それこそが意味である、ということが分かる日は永遠に来ない。

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