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コロナ後だからこそ観てほしい「デビルマン」

ネットフリックスで2018年に配信されたアニメ「DEVILMAN crybaby」(全10話)を今更ながら観た。考えさせられることが多くとてもとても面白かった。特に9話はスシローで寿司食いながら観たのだが、途中で号泣してしまい、周りから変な目で見られた。

この作品のためだけにネットフリックス契約してもよいのではと思ったくらいなので、今回はデビルマンの魅力と考えさせられたポイントを紹介する。少しネタバレをしてしまうので嫌な方は読まないでください。



◆悪魔=悪/人間=善?


あらすじをざっくり説明する。

太古から生息していた悪魔という種族が人間の身体を乗っ取り、世界を征服しようとする。そのことを知った天才高校生の飛鳥了は親友の不動明(主人公)にあえて悪魔を憑依させ、デビルマンとなって戦うよう懇願する。明も人類のためデビルマンとして生きていく覚悟を決めるが…。

みたいな内容だ。デビルマンとは身体は悪魔、心は人間の生物という定義らしい。途中まで物語は「悪い悪魔を善い人間が倒す」というわかりやすい構成で進む。だがメディアで悪魔の存在が認知されてしまった中盤からテーマがガラッと変わる。


左:不動明、右:飛鳥了

誰が悪魔かわからない状況の中、人間同士で殺し合いを始めたのだ。ある人に少しでも怪しい噂がたつと、ご近所が村八分にし、吊し上げ、殺害する。人間通しでも殺し合いをするのだから、デビルマンが「心は人間だ」と言っても誰も信じない。物語の途中で、不動明以外にもデビルマンがいることがわかるが、彼らの多くは人間に殺される。

明はそんな状況の中、自分が何のために戦うのかわからなくなり絶望していく。デビルマンの後半パートは馬鹿な人間の行動をこれでもかと描いていった。


◆コロナ禍の魔女狩り


物語の後半パートを観て、まず思ったのがこれはアニメの話だけではないテーマだということ。ネットフリックスで放送された1年後、コロナが流行する。幸いにもコロナはアニメのような大災害とならなかった。冷静になった今振り返ると僕らは魔女狩りの中にいた。

僕は東北生まれ、東京在住だが、実家に帰省しようとしたら親に「周りの目があるから帰るな」と何度も言われた。岩手県で、東京からの移住者がマンションへの入居を渋られただけではなく、市役所から転入届の受け取りを拒まれ、仮住居で火災にあい亡くなった事件もある。当時の閉鎖的な空気感はよく覚えている。

仮にコロナがもっと猛毒だったら? などと考えると、感染で苦しむのとは別の恐ろしさにうんざりしてしまう。デビルマンで魔女狩りをするご近所さんたちも普段は何てことはない「いい人」だっただろう。人間の尊厳とか、理性とか、そんなものはなんて脆弱なものだろうと考えこんでしまった。


◆陸上部の顧問

最後に、メインストーリーとは関係ない話をする。明たちが所属する陸上部の顧問教師についてだ。この教師は生徒に「ボケてる」と馬鹿にされており、一言も台詞がない。なのになぜか教師がぼーっと空を見上げているシーンが3~4度も出てくる。

そしてそのうち1度、教師の頭の上を蝶が飛ぶのだが、その蝶を教師はカメレオンみたいに舌で捕食する。ここでこの教師は人間ではないことがわかる。

なかなか不気味で、「寄生獣」みたいにいつ教師が暴走して、部員を殺してしまうのかと思っていた。しかしその後、教師は暴走どころか登場すらしなくなる。教師の再登場は最終回の10話。悪魔との最終決戦に臨む明の隣にいた。つまり教師は悪魔ではなくデビルマンだったのだ。

このエピソードは恐らく原作には書かれていないアニメオリジナルだろう。10話で教師がデビルマンだとわかったとき、僕も魔女狩りに加担していたことを知った。白状すると僕は9話まで「愚かな大衆を賢い俺はどう啓蒙すればよいのか」という視点で観ていた。「僕は魔女狩りなんてしない」という意識が強かったのだ。しかしそこにアニメ監督が「お前は賢そうにしているけど、顧問教師を悪魔とみなしてキモがっていたじゃないか、魔女狩りの一員になりうるのだよ」と言ってきた気がした。


◆ぜったい観てほしいデビルマン


デビルマンで考えたことの一部を紹介した。単なる娯楽作品を超えて、哲学的に優れた作品だ。エログロシーンが多く、苦手な人にはおすすめしないが、耐性があるなら絶対観たほうがいい作品だ。お盆休み中に一気見してしまうだろう。




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