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書評: 直島誕生

【概要】

直島誕生

控えめに言って、今のワタシにとっては最高の1冊

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?は良書だが、なぜ美意識や芸術とビジネスが関係あるのかについて概要を広くとらえらる助けにはなるも関連性を深く理解できなかった。この本は直島をケーススタディにアートを学ぶことが一体今どういう意味を持っていて、世の中にどんな価値を問うているのか?とても多くの気づきを与えてくれる良書。今の時代はMBAじゃなくてMFAだよねって思っている人は全員読むと良いと思う。オススメ

【要約】特に刺さった所

【アーティスト、芸術の学びを通じて身に付くこと】

・常に常識の「外」に出ようとするアートは、違う視点で考えたいという時に役立つ可能性がある

表現者にとってのアートとは描くという実践を通じた世界の認識の仕方であり哲学である

現代アートはアーティストの感性を通じて時代の価値観や空気感をある意味では預言的に感じることができる。実際、優れた現代アーティストは感度の良い野生動物のように時代の変化を肌で感じている

【アートの市場性と投資】

・ 良い作品だから良い評価が得られるといえるほど芸術の社会化のプロセスは単純ではない。良い作品はかなりの程度解釈の問題が介在し、価値を創作(歴史的に物語る)する余地がある

パンザ伯爵は、目をかけた現代アーティストたちに、これほど(多く)をかける勇気がどこから来るのかと不思議に思うほど、惜しみなく若手の作家を支援しているのが印象的だった

【技術の発展と芸術】

人間は科学によって自然を効率よく支配し、あらゆるものを素材にして、あるいは資源にして巨大な産業を生み出してきた。これは自然物の人間化であり20世紀の物質文明 

・ジェームズタレルの作品も観客の感性に訴えるものではあるが、そのように観客に感じてもらうための作品制作は恐ろしいほどに優れた精度を持つ光学的な基準によって作られる。芸術の制作は理屈を徹底する工学的態度の上に成り立っている。 

・タレルは直島の「家プロジェクト」と「欧米型のランドアートや環境芸術」との違いをコミュニティの介在の仕方の違いと述べている。タレル曰く日本は中間層の社会通念や道徳観念によって支えられている国で、中間層の教育レベルが社会の柱である。それは時に強固な足枷となるが、一方で社会の健全さを保つ物差しともなってきた。

【アートと文明・自然とサピエンスの接し方】

・自然を使うアーティストには二つのタイプがある。一つは自然を野生の場として自らも野生に戻りそれに向き合うタイプ。もう一つは自然は野生であるが自分は人間文明の側に立つというタイプ。この二つのタイプでは、全く異なった世界観になる。前者は人間は自然の一部となるのに対し、後者は自然を客体として眺め、人は神のように俯瞰する存在になろうとする。いわば中に入るものと外から眺めるものの違いがある。

アートプロジェクトを動かすのは人である。人が人を動かす。それも日常生活を通じてである。時間をかけて、そこに合ったやり方を見つけていくことが必要だ。そこにセオリーなどない。時間をかけてそこでしかできないことを発見していく。

・福武さんが時折放つ「経済は文化のしもべ」というフレーズは強烈なアンチ経済優先主義の表れであり、経済界に身を置く福武さんが言うからより一層のインパクトを持つ

人間の行い全てを煎じ詰めれば、意思を支えるものはおしなべて幻想であり、信仰でもある。最後は信じるかどうかだ。

【抜粋-全部】

・日本では文化的な素養を持った「教養人的なお金持ち」が一体どこに存在しているのか皆目検討もつかない

・絵を見るといった芸術体験は視覚を介した一種の常識からの逸脱行為

・常に常識の「外」に出ようとするアートは、違う視点で考えたいという時に役立つ可能性がある

表現者にとってのアートとは描くという実践を通じた世界の認識の仕方であり哲学である

・ 良い作品だから良い評価が得られるといえるほど芸術の社会化のプロセスは単純ではない。良い作品はかなりの程度解釈の問題が介在し、価値を創作(歴史的に物語る)する余地がある

・現代アートには常識はずれな考え方やとにかく徹底的に深く追求する探究心、自分を徹底的に信じてそこからものを作ろうとするなどの面白い点がある

現代アートはアーティストの感性を通じて時代の価値観や空気感をある意味では預言的に感じることができる。実際、優れた現代アーティストは感度の良い野生動物のように時代の変化を肌で感じている

・現代アーティストは「美術館は作品の墓場だ」というように皮肉る時がある

・作家にその場所のための作品を製作依頼するコミッションワークや、作家に直接その土地に足を運んで貰いその場所の特性を生かした作品を作ってもらうサイトスペシフィックワークといった考え方がある

・展示されるその場所がまずあり、その場所から刺激を受け、その場所のために作品を作ってもらうという展覧会主義からの脱却と言う考え方もある

パンザ伯爵は、目をかけた現代アーティストたちに、これほど(多く)をかける勇気がどこから来るのかと不思議に思うほど、惜しみなく若手の作家を支援しているのが印象的だった

サイトスペシフィックワークとはその場所の風景や歴史、社会などを意識して制作されるものだが、同時にその場所に設置されている特定の場所専用という意味でもある。ご当地アートとも言える。

・ 直島に制作の時間を持ち込むことが、ことのほか直島を活気づかせたように感じる

・ダダイズムやシュールレアリズムといった前衛芸術はありえない出来事を作品化していて、人間の常識に疑問符を投げかける

・20世紀の工業製品や素材を使う作家の作品は、20世紀の物質文明の光と影を表し時代を象徴

人間は科学によって自然を効率よく支配し、あらゆるものを素材にして、あるいは資源にして巨大な産業を生み出してきた。これは自然物の人間化であり20世紀の物質文明 

直島文化村のコンテンツは”自然・建築・アート・歴史”という四つであり、アートは伝えるべき内容として位置づけられている。一方、宿泊施設はメッセージを伝えるためのメディアとして位置づけ

・ 直島らしさの肝となるものは、瀬戸内海を臨む風景でも、古き良き田舎のコミュニティでも、都会にはないのどかでひなびた空気感でもなく、人である。 島の住人たちの積極的な参加が不可欠

・ 代々受け継いできた土地を自分の代で手放すのやっぱり気が引ける、古い土地ではよくあること。

・イサムノグチ庭園美術館では作品と場所の見事な調和を体験した。「このようにしか、このものは在りようがない」という物と物、空間のあり様を、初めて見て、経験

・ 古民家のアート作品化には二つの手順が必要。一つは魅力的な古民家の改修、もう一つは古民家のことを理解するアーティストによる作品制作(建築家及びアーティストの選出)

島の人にとっては全く別世界のものであった現代アートが角屋(宮島さんの作品制作)に関わることでにわかに身近な存在となり意味を持ち始めた 

・ジェームズタレルの作品も観客の感性に訴えるものではあるが、そのように観客に感じてもらうための作品制作は恐ろしいほどに優れた精度を持つ光学的な基準によって作られる。芸術の制作は理屈を徹底する工学的態度の上に成り立っている。 

・光があるとは何と安心感のあることか。それは我々が世界を感じその中に存在していると認識できることの安心感

・ジェームズタイルは直島での新しい「アパチャーシリーズ」でより光を抑え完全な闇に近い状態を作り出した。その理由として日本人は我慢強いから作品の実態が掴めるまでに多少の時間がかかっても大丈夫だと考えたからである 

・タレルは直島の「家プロジェクト」と「欧米型のランドアートや環境芸術」との違いをコミュニティの介在の仕方の違いと述べている。タレル曰く日本は中間層の社会通念や道徳観念によって支えられている国で、中間層の教育レベルが社会の柱である。それは時に強固な足枷となるが、一方で社会の健全さを保つ物差しともなってきた。

パブリック空間とプライベート空間の境界は本来は非常にデリケートなもの(行政サービスにたよりすぎ)

・ 直島では、岡山県勝山の町並み保存地区で続けられている暖簾アートのように、昔ながらの暮らしをしている人が家や家屋を見ていい時はのれんをかけそうでない時は外すという取り組みにトライした。このエピソードを見ても都会の人に警戒心を抱いていたお年寄りがいかに見違えるほど協力的になったかが窺い知れる

・今では企業の「社会的包摂」という概念が当たり前のように言われる。社会的な弱者への配慮や地域社会に対する支援また積極的な社会正義の遂行など社会にとって大きな存在である企業が社会における文化や福祉の役割などを果たすべきだという考え方 

・1997年の全社会議で直島の位置づけを明確化して以降、キュレーターが先導するアートからアーティストが先導するアートへの変化、国際的なアートの文脈を意識したグローバルなアートから直島の風土や風景、歴史との関係から作られるリージョナルなアート(サイトスペシフィックアート)へと変化が起きた

「経験の美術」とは作品と対峙した時の経験そのものが美術であるような体験であり、作品に包まれたときに起きる美的な出来事だと言える

・自然を使うアーティストには二つのタイプがある。一つは自然を野生の場として自らも野生に戻りそれに向き合うタイプ。もう一つは自然は野生であるが自分は人間文明の側に立つというタイプ。この二つのタイプでは、全く異なった世界観になる。前者は人間は自然の一部となるのに対し、後者は自然を客体として眺め、人は神のように俯瞰する存在になろうとする。いわば中に入るものと外から眺めるものの違いがある。

・巨匠たちの美学上の意見は決して一致することはない。彼らは体験こそが最も重要だと口を揃えて言う

・ 直島をさらに盛り上げ現代アートの島として定着させるための道筋がようやく今はっきりと見えてきたというのに、なぜ今更モネなのか?現代アートの醍醐味はまさにその場所からアートが生まれ立ち上がっていくところにある。

・ 「永遠の平和」や哲学的なまでに普遍的な世界を探求していること、時間や空間を人間のスケールではなく自然や宇宙の中で見ていくというスタンスを取っていることなどを考えると、デ・マリア、タレル、モネの共通点は多い

芸術とは生活の一部であるが同時に哲学でもある。それを超える非日常とも繋がっている

・タレルのアリゾナのフラッグスタッフにあるライフワークの「ローデン・クレータープロジェクト」は60年代後半から一貫して行われており、一つの山を作品に取り込む壮大なスケールのアートプロジェクトとなっている。これは一種の芸術的な天文台のようなもの。

・ 人間の中心視野は約20度であり、幅6 mの絵であれば約17mの距離があれば全体を捉えられる。ただ実際にこの位置だと、まだ輪郭がぼやけるので22~23mは実際に必要。

・晩年の睡蓮は現代の眼で見直す価値があります。自然と共に生きる人間の精神性や知性といったものをモネは表している

・ 直島を訪れる人々は、第三者から何らかの価値を押し付けられることなく、自らの意志でアートと向き合い、そして思考し、体験を持ち帰っていく

アートプロジェクトを動かすのは人である。人が人を動かす。それも日常生活を通じてである。時間をかけて、そこに合ったやり方を見つけていくことが必要だ。そこにセオリーなどない。時間をかけてそこでしかできないことを発見していく。

・福武さんが時折放つ「経済は文化のしもべ」というフレーズは強烈なアンチ経済優先主義の表れであり、経済界に身を置く福武さんが言うからより一層のインパクトを持つ

人間の行い全てを煎じ詰めれば、意思を支えるものはおしなべて幻想であり、信仰でもある。最後は信じるかどうかだ。


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