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研究室配属前夜

大学4年間を過ごした後、他大学の大学院への進学を目指す学生は少なくありません。実のところ、私もその一人でした。

もともと私は、高校時代から医学部進学を志望しており、地元の千葉大学医学部を受験する予定でした。しかし、センター試験(現:大学入学共通テスト)の国語の成績が振るわず、千葉大学医学部への合格は難しくなってしまいました。当時の千葉大学医学部は、センター試験の点数が重視されていたためです。そこで、二次試験の比重が高い、富山医科薬科大学医学部(現:富山大学医学部)を受験し、なんとか合格することができました。

しかし、研究の道に進みたかった私は、医師の叔父に相談した結果、医学部進学をやめ、早稲田大学理工学部応用化学科に進学することにしました(note*1)。化学は非常に面白い学問でした。特に有機化学が好きで、電子の動きをイメージできれば、合成が自然と進んでいくように思えました。この面白さを教えてくださったのが、竜田邦明教授(現:名誉教授・栄誉フェロー)でした。

有機化学の研究も面白かったのですが、最も興味を持ったのは「分子生物学」でした。生物の原理を分子レベルで解明するこの分野に魅力を感じさせたのは、利根川進先生の著書「精神と物質」でした。

”北里が発見し、利根川が解明した「抗体」一○○年の謎”

利根川先生は、免疫の多様性の謎を分子生物学の手法で解き明かし、ノーベル生理学・医学賞を受賞された方です。私のヒーロー的存在で、この本を何度も読み返しました。そこで、分子生物学の真髄を学びたいと考え、早稲田大学から東京大学大学院への進学を目指しました。しかし、希望した研究室の教授の対応があまりに素っ気なく、合格は難しそうだと感じました。

そんな中、早稲田大学で研究室配属の希望調査があり、少しでも分子生物学に関係する常田聡助教授(現:教授)の研究室を選びました。しかし、東京大学大学院への思いが捨てきれず、早稲田での研究に情熱を持てずにいました。そのため、研究テーマを決める際の施設見学ツアーをさぼってしまいました。しかし、常田先生に叱られ、渋々ながら2回目のツアーに参加しました。そこで、産業技術総合研究所を訪れ、考えが一変することになりました。

案内してくれたのが、ポスドク1年目の野田尚宏さん(現:研究グループ長)と、先輩の足立賢さんでした。産業技術総合研究所では、微生物を対象としながらも、分子生物学の新しい手法の開発に注力していました。素晴らしい設備と研究環境に魅力を感じ、「ここなら、自分のやりたい分子生物学を思う存分できるかもしれない」と考えるようになりました。

そこで、産業技術総合研究所の研究テーマを選び、ここから研究人生をスタートすることを心に決めました。私は意気揚々としていました。不思議な自信もありました。ただし、これは後々聞いた話なのですが、私は当初、周囲からまったく期待されていませんでした。1回目の見学を欠席したこともあり、常田先生も野田さんも、私に対して期待をほとんど持っていなかったそうなのです。それがまさか・・・。

ここから私の研究奮闘ストーリーが始まったのです(note*2)。


note*1

note*2

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