見出し画像

「Demiちゃんが行く!」#20写真家 緒方秀美 私小説 ”N.Y.での再スタート"

おはようございます。8月の最終日もう夏の終わりには何故か切ない気分になります。
前回までのお話しは父親の急死で日本に戻ったデミがN.Y.に行く前にサンフランシスコの親戚の家に3ヶ月くらい滞在して英語の勉強をする予定でしたが、あまりにものどかで親戚も優しい環境が逆にお父さんを思い出して寂しくなって3日でサンフランシスコからNight FlightでN.Y.に渡ったお話しでした。とても天邪鬼なデミですが自分の心に正直にしか動けないのです。続きをどうぞ

第20話 ”N.Y.での再スタート"
やっぱりこの街だ、黒人 白人 プエルトカン オリエンタル ごちゃ混ぜでパワーある、摩天楼を見るとクールな大都会だけど同時に土着なエネルギーを感じる、孤児だろうがホームレスだろうがイキイキと精一杯生きている、N.Y,がクレイジーではなく世界中からクレイジーピープルが集まって来くる、街では音楽が鳴り響き、ストリートには名も無いアーティストが絵を描くグラフィティ、街中がダンスフロワーでもありギャラリーでもある、キャンバスには収まりきれない、ぶち破りのエネルギーがここにはある。
新生デミはやるぞ~~~っとワクワクしながら、タクシーでマンハッタンに向かった。今度のホテルはチェルシーホテルより更に安いワシントン スクエア ホテルに泊まる。NEW YORK大学の近くのホテルだからもうかってが分かってる。
街のエネルギーで悲しみが吹き飛んだ、ここでやっていくんだ!!ホテルの部屋に着いたらクマさんやギンちゃん以前知り合った友達に全員に電話した、もう学校には行けないけど、どんな仕事をしてでもこの街で生きていく。ギンちゃんに電話した時に「明日仕事あるけどやる?」とギン「やる」と即決。マークチンという中国系アメリカ人が明日撮影のアシスタントを探してるという、言葉はそんなに分からなくても撮影アシスタントは百戦錬磨でスタジオワークは全て分かる。ギンちゃんにスタジオワークに必要な専門用語のライティングの露出を計る事はtake reading 絞りをばらす事はburaketingなど教えてもらいチェルシーにあるマークチンの撮影スタジオに行った。ビルのベルを鳴らすとマークは”welcome to Marc Studio"とニコニコしながらデミを迎えてくれた、なだか怒りっぽい日本のカメラマンとは全く雰囲気が違う、スタジオの機材と今日はどんな撮影をするか説明してくれたシンプルなライティングのファッション カタログ撮影、使うカメラはハッセルブラッド、カタログ撮影に合う柔かな光のライティングを作って後はフィルム チェンジとフィルム管理、毎回伊島さんの撮影でやってた事だハッセル ブラッドはブローニーフルムを使うから12枚しか撮れない、フィルム チェンジのスピードを要するけどマークはホルダーを3個も持っているから楽勝だと思った。
その時にドアベルがなってドアを開けるとメンズモデルが入ってきた私の顔を見るなり「コニチハ~」というから"Have you ever been to Japan?" と聞くと”Yes I've been working in Tokyo"といって彼の名はJamesモデルのコンポジットを見せてくれた、その写真をみると大山千賀子のライティングで撮られてるではないか、デミは写真みると誰のライティングか直ぐ分かる。「これ大山千賀子が撮った写真?」Jamesは「そうだよ何故分かるの?」と聞くから「彼女が作るリングライトは目に映るからすぐ分かると」いうと驚いてた。N.Y.での初めての仕事でも大山千賀子が出てくるからビックリした、JamesはいつN.Y.に来たのと聞いてくるので「昨日」と答えたら、「昨日きたのにもう働くの?」と言ってくるからお父さんが亡くなったから直ぐに働かないと生きていけないと言ったら、「オーー」っと言ってハグしてくれた。撮影はスムーズに進みデミの仕事ぷりにマークはビックリしてたハッセルブラッドは12枚したとれないので11枚とった時に次がラストですと言ってあげる。知らないと13枚目もシャッター切ろうとして切れないと気持ちが落ちる事が分かっているから、そんな事にも気をつかいながらフィルム チェンジ素早く、さらにマークが何が欲しいか直ぐ分かる、言われる前に動くからYou are great!! great!!サイキックあるの?なんでフルムカウントまでわかるの?と色々聞いてきた、シャッターを切る音をリズムでカウント123 123 123 12となった時にlastと言ってるだけ、日本のアシスタントじゃ普通の事だけど、マークには感激された。この時ばかりは、あの自衛隊の様にしごかれたスタジオエビスや伊島薫のアシスタントしてて良かったと心から思った。言葉はそんなに分からなくても細胞が覚えているから勝手に身体がスムーズに動いた。ランチタイムになるとマークのスタジオでケイタリングをとっていて大きなお皿で一人一人が自由に料理を取って食べる形式、マークがお皿を取ってデミにレディ ファーストとニコッとしながら渡してくれた、デミはビックリしたじろいだ、日本では撮影のランチタイムでアシスタントはお茶の用意などして一番遅くに食べはじめ、一番早くに食べ終わってお弁当箱のおかたずけをしなきゃならない、食べながらでも誰かお茶など必要としてないか気をつかいながらの食事、そんなアシスタントにレディーファーストと言ってカメラマンがお皿を渡してくた。とても優雅に時間が進んでいくスムーズに撮影も終わりデミは日当の150ドルをチェックでもらった。
N.Y.に来てはじめてギャラをもらった、とてもうれしかったこれで1週間は暮らせる。あとはホテルじゃなく住むところ探して仕事も探していけばいいやと思いながら歩いて帰っているとJamesが追いかけてきた。「デミは昨日N.Yに来てどこにステイしてるの?」
「ワシントンスクエアホテル」と答えると「ホテルって高いでしょ?」どJames「
安ホテルだよ」とデミ「大変でしょう僕の家に来ない?タダで泊めてあげるよ。僕のガールフレンドは日本人とアメリカ人のハーフだから日本語も話せるしデミもホテルよりおちくでしょ」と言ってくれた。デミはホテルに戻り荷物を持ってJamesの家に行くことにした。デミは20歳にはなってたけど若く見えるらしく、デミの事をベイビー ベイビーと呼んでくるから、子供が一人でN.Y.にきて生きていこうとしてるから守ってあげないと!!と思ってくれているみたいだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?