「Demiちゃんが行く!」#17 写真家 緒方秀美 私小説 "最も悲しい出来事"
こんにちは。私小説を書く事が、自分の人生を俯瞰して見てなかなか面白い人生歩んできたなと思います。
前回までのストーリーはN.Y.にたどり着いたデミちゃんが少しホームシックになったけど、あの頃はまだ携帯電話もなく簡単に国際電話もできない時代でした。そんななか元気を装ってた意地っばりデミに人生で最も悲しい事が起きたのです。
第17話 ”最も悲しい出来事"
N.Y.に来て約一ヶ月が経った頃、急にまた熊本のお母さんに電話したくなってけど、またお父さん怒られるんじゃないかと意地になって電話しなかった。
次の日の授業が終わり何だか今日は頭が痛いな~~早くドミトリーに帰ってシャワーあびて寝ようとしてた時に部屋のドアをたたく人がいてロングディスタンスコールと深刻な顔でデミを呼びにきた、本来ドミトリーでは電話は繋いでくれなくメッセージを残すだけのルールになっているのに、東京の友達が酔っ払って私を呼んでと頼んだのかな~とフロントに降りていくと電話をホールドしくれているフロントの人も深刻な顔でデミに受話器を渡してくれた。「もしもし」と話した瞬間に、お母さんの声だった「デミちゃんお父さんが死なしたよ。早く帰ってきて」デミは何が起きたか分からない頭が真っ白になって電話を戻した。突然のお父さんの死!!!!!お父さんが死んだなんて!!ショックすぎて涙もでなかった。どうしていいかも分からない。熊本に帰るにもKorean Air Lineの格安往復チケットじゃまた24時間かかってしまう。スーツケースに荷物を詰めようとしてもゴチャゴチャになる、もうこんなパッキングなんてしたくない嫌だ!ワ~~~~ンと泣きだして、クイーンズに住んでるプエルトリカン顔のクマさんに電話した。
「お父さんが急に死んだから明日日本に帰る。荷作りなんてしてられないからクマさんドミトリーに取りに来て、私の荷物クイーンズで預かっておいて!!」めちゃくちゃなお願いしているのでクマさんはオッケーしてくれた。
日本に戻るのにまたKorean Air Lineで24時間なんてかけていられないと、あり金すべてはたいてPan AmericanのJFK-Narita間ビジネスクラスしか空いてなかったから80万円の片道チケットを買った、頭が混乱していたデミだけど、また戻ってくるにはI-20という学生VISAの書類にForeing sutudent adviserのサインがないとまた入国できないと、そのサインだけはちゃっかりもらい、短パンTシャツにゴムぞうりAir chiketは財布に入れてパスポート持ってJFKまで行って飛行機に飛び乗った。
あと16時間で日本に着く、いろんな気持ちがこみ上げてくるけどまずは音楽でも聞いて気持ちを落ち着かそうとヘッドセットを付けた瞬間に流れてた曲がダイアナロスの “MissingYou" が流れだした。急死したマービン ゲイを忍んで書いた曲が
デミの心情とシンクロして震えた。
Since you've been away I've been down and lonely since you've been away I've been thinking of you.Try to understand the reason you left me what were you going through Ooh-Ooh Ooh-Ooh I'm missing you
デミは飛行機の中だったのにボロボロ泣いた、スチワーデスがAre you OK?と聞いてきてくれたけど涙が止まらなかった。泣きながらお母さんはもっと悲しいんだろう、デミはしっかりしなきゃ、でも何故お父さんはサヨナラも言わずに行っちゃった?急に怒りが出てきたり,悲しくてたまらなかったり、頭がごちゃごちゃ混乱して涙が止まらなかった。
そういえばデミがN.Yに行く1ヶ月前に弟のノブが青山学院大学の入学式の時にお父さんとお母さんが東京に出て来て家族4人が弟のマンションがある調布で会った、その日はホテルで過ごし翌日は私だけ新宿方向の電車、弟と父母は相模原の方向に行く電車、双方の電車がほぼ同時に来たときお母さんは手を振りながら「デミちゃんじゃあね~~」とすぐに電車に軽やかに乗ったのに、お父さんだけはホームに立ちつくし「デミこれが最後たい!!」としんみりした顔で言う、N.Y.に行くぐらいで何よ!!しんみりしたくなかったデミは「最後じゃなかでしょ!!」フンとしてさっさと新宿行きの電車に乗った事を思い出した。あれが最後だったんだ、何で笑顔で別れなかった、あんなにデミの事を可愛がってくれた人なのに~~でもお父さんはいつも自分がやらなきゃいけない事はやるだけやって天国行くときはコロッと行きたいと言ってたな、お父さんは満足しているんだろうな、ダイアナロスのせいで涙が止まらないじゃないか~~~色んな感情が出てくるデミだった。お母さんはデミよりもっと悲しいだろうから、デミがしっかりしないと決心したくらいの頃に、成田に着いた。成田から今度は福岡行きの飛行機のトランジットで3時間待ちだ、実家に電話するとおばちゃんが出て「デミちゃんかい、長い時間かけておつかれさま、みんなお父さんのお葬式に出たよ、おばちゃんはデミちゃんが成田に着いて電話してきて誰も出ないと寂しいだろうから電話ばんしてたよ、もうちょっとだから気をつけて帰ってきてね」とおばちゃん。そうだったお母さんから帰ってきなさいと電話あった時に気が動転して私を待たないで葬式して、と言ったみたい。何でそんな事言ったのか分からなかったけど、心の中はお父さんが死んだ事を認めたくなかった葬式に出るのが怖くてたまらなかったのかもしれない。
成田のラウンジでソファーに座って待ってると目の前のソファーにある若い父親と小さな女の子が座ってきた、二人の様子をず~っと見てデミもこんな風にお父さんに可愛がられたなと色々な事を思い出した。そうしてると福岡行きの飛行機のボーディングが始まり福岡に着いたのは19時、それからタクシーに乗って熊本の山鹿までタクシー代2万円かかり持っていたお金使い果たして21時にやっと家にたどり着いた。
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