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「Demiちゃんが行く!」#18 写真家 緒方秀美 私小説 "これが真実の愛だ!!"

こんにちは。前回は20歳の頃に起きた一番悲しかった出来事、父の急死しかも外国にいたデミにとってはかなり厳しい事だったと書きました。
もう何十年も前の事ですが、その時の気持ちを思い出して書いてると涙が止まらなくなります。今回は頭が真っ白でTシャツと短パンでN.Y.から熊本に帰った後のストーリーです。


第18話 "これが真実の愛だ!!"

やっとの思いで実家にたどり着いた時には、お母さんは自分では立つ事できないくらい泣きつくした様子、こんなにも弱ったお母さんの顔はじめて見た、弟が一言「おねえちゃん」と言った、お父さんのお葬式は終わってたけど、おばちゃん二人は帰らず私を待ってたくれた、応接間に行くとお父さんはもう小さな箱になっていて遺影の写真も急に亡くなったのでちゃんとしたポートレイトはなく、何かのスナップ写真を大きく伸ばした顔に別撮りしてるスーツ姿に貼付けてあるコラージュ写真だった。
こんなに若くて早く亡くなるとは誰も思ってなかったからちゃんとしたポートレイト撮影などしてなかった。
お父さんにお参りした後でデミは「お父さんはやらなきゃいけないことはやったら天国行く時はコロッと行きたいと言ってたから、若かったけど本望じゃい」と強がって言ってしまった。次の日お母さんが私に「デミちゃん悲しい時は泣いていいよ」と言った言葉でまたワ~~~ンと泣いた。Tシャツと短パンで帰ってきたデミにお母さんは一晩で黒いワンピースを縫ってくれた。「明日からも色んな人がお悔やみに来るからこれ着てなさい」と悲しみの中でお母さんは徹夜してワンピースを仕上げてくれた。
お父さんは亡くなった当日は朝からゴルフに行き優勝して帰ってきて、最近はデミから連絡ないなと言ってそうだ、だけど優勝トロフィーを持って上機嫌なところ夜中に急に倒れて5時間後に亡くなった脳溢血だった。デミからの連絡ないなと言ってたんだ、あの日電話したいなと思ってたのに、またホームシックかと怒られると思ってしなかったんだよね、やはり思った事はやらないと、こんな後悔が残ってしまった。怒られようがやらないで後で後悔するよりマシだ、と電話しなかった事を物凄く後悔した。でもお父さんゴルフで優勝した上機嫌のまま行ったんだ。
こんな悲しみの中お母さんはお父さんの会社の後始末や社員への退職金と後の仕事を決めてあげたり凄い仕事をしている、凄いな~~お母さん。ショックでご飯も喉に通らくてドンドン痩せていくのに沢山の仕事をして、デミはお母さんに少しでもご飯食べてもらいたくて毎日料理した。
そんな中、親戚一同はデミにもうN.Y.なんか行かないでお母さんの側で仕事手伝いなさいと言われる、あんな遠い所にいるからお父さんの死に目にも会えなかったでしょう。とそれを言われるとデミは涙が止まらなかった。
こんな中でもデミはいつかはN.Y.にもどってNEW YORKERになりたかった、感性磨いてプロのカメラマンとしてデミ ワールドを画一したかった。でもお母さんにまたN.Y.に行かせてとは言えない。
そんなとき弟のノブが「おねえちゃんはN.Y.に行きたいんでしょう、行けばいいよ!!
ボクは大学卒業したら熊本に戻ってきてお母さんを守るから心配せんでよか、おねえちゃんは思ってる事をやればいい」と言ってきた、デミはノブのその言葉にビックリして感激してブルブル震えた。小さい時から弟はデミとは対照的で体も小さく泣き虫の弱っちい男の子、近所のガキ大将にいじめられて泣い帰ってくると、デミがガキ大将に仕返しにいってやってたくらい、小さい頃は近所のおばちゃん達にデミちゃんとノブくんは男と女が入れ替わってたら良かったね。と言われてたのにこんな男らしい言葉を言ってきた。お母さんもデミの事は全て分かってる「デミちゃんN.Y.に行きなっせ、お父さんもデミはN.Y.で頑張ってると思ってるから、自分の事でデミが夢を諦めたと分かったら悲しむよ、三人それぞれに頑張っていこう」と言ってくれた。ほんとこの時ほど強くて優しいお母さんの存在に感動した、自分が一番悲しい時にデミを信じてくれた。「デミちゃんまたN.Y.に行けばいいよ」と言ってくれた。お母さんの強さ本当の愛にデミは感激してブルブル震えた。この日のお母さんの判断が後でになって間違ってなかった、良かった、そう思えるようにする。そうデミは心に誓った。

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