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「Demiちゃんが行く!」#19 写真家 緒方秀美 私小説 "やっぱり私にはこの街だ!! New York"

こんにちは。前回まではお父さんの急死でN.Y.から熊本に戻ってきたデミが親戚一堂から海外に住む事を反対される中、弟とお母さんだけが私のN.Y.行きを許してくれた。夢を叶えてと許してくれた。
そしてまた出発したのでした。


第19話 "やっぱり私にはこの街だ!! New York"

N.Y.にまた行くと決めたその日の夜、お父さんが夢に出てきて「デミ!!N.Y.に行くのはよかばってん。お母さんば、、、」そう言った時に夢からさめた「お母さんば、、、」の続きはお母さんばちゃんと守ってやれよ。と言いたかったのかなと思いN.Y.行きを一ヶ月延ばしてお母さんの仕事を手伝った。
一ヶ月後だんだん出発が近つ”いてくる、今度は前回のように学費を出してもらったりできない、お父さんの会社もなくなったのだから、いきなりN.Y.に行くよりサンフランシスコには日系二世のお母さんの従姉妹アンがいる、アンの所に3ヶ月くらい居させてもらおうかなと思う様になってた。
お婆ちゃんのお姉さんが第二次世界大戦前にサンフランシスコに渡って、戦時中は収容所に入れて苦労したけど、農園経営でストロベリーと薔薇を作ってサンノゼのレストランにおろす仕事をしてた、その娘のアンはお母さんにとって従姉妹になるアンがそのまま農園を引き継いでるそうだ、もうNYUの学費なんて払えない、ネイティブな英語を話すアンの所に三ヶ月くらい居させてもらって、もっと英語がうまくなったらN.Y.に行こう。まずはサンフランシスコだとアンおばさんに連絡したら心良く承諾してくれて今度はサンフランシスコに飛んだ。
サンフランシスコ空港にはアンと旦那さまのボブが迎えに来てくれてた、ボブも日系二世だった。サンフランシスコ空港からサンノゼまで車で約1時間半
さすが農園がある土地の静かな地域にアンの家があり、ゲストルームにとおして
くれた「デミ自分の家にいるように過ごしてね」と優しくハグしてくれて旦那さんのボブも凄く優しい。食事は朝はアメリカンブレックファーストで昼はサンドイッチでも夜はすき焼きにブロッコリーや赤ピーマンが入っている様なヘンテコな日本ん料理とご飯にたくわんが出てくる”Demi help yourself Have some OKAZU!!"と急に日本語の単語も入る、お婆ちゃんのお姉さんトメコはアンのお母さん、彼女は亡くなっていたけどアンのお父さんは90歳で元気だった。そのおじいちゃんも熊本からアメリカに渡った人だ、彼の日常生活は英語だけど
”I went to see doctor today ばってん he wants me to come tomorrow againだったとたい"と急に熊本弁が入ってくる。日系人はこんな英語話しているのか??
穏やかな環境で優しい家族、朝日が差し込み起きて庭を観るとハチ鳥がパタパタ飛びながら花の蜜を吸っている。あまりものどかで幸せな家庭の中に入れてもらって
アンの旦那さんのボブもデミのお父さんと同じくらいの年で優しくしてくれる、それが逆にお父さんの事を思い出して寂しくなる。毎日毎日が優しくのどかな日々が過ぎた、だけどデミの本心は親切にしてくれて感謝だけど、もうこんなにのどかでのんびりした所には居られない、退屈で逆に寂しくなる!!と心の中で叫び出した。アンには三ヶ月いさせてと最初は頼んだけど、急にNYUの英語クラスのレジストレーションが始まると聞いたからN.Y.に行くね!と嘘ついて安いNight FlightでN.Y,に飛ぶ事にした。アンの家に滞在させてもらったのは5日間だった。夜のサンフランシスコ空港からお母さんに電話した。アンおばさんの所には5日いたけど、やっぱり今からN.Y.に行くと伝えたら「デミちゃん、お父さんはいなくなったけど寂しくなかよね?」とお母さんが聞いてくる「寂しくなかよ、個展ができる様になったら日本に帰るね、頑張ってくるよ。バイバイ~~~!!」ど電話を切った、ほんとうは寂しかったけど、そんな事など言ってられない。もう寂しくなんかないデミはやるさ~~Night Flitの飛行機に乗ってJFKに着いたのは朝。着いた途端にやっぱここだ~~~活気を感じる、我が街New Yorkに戻ってきたぞ~~~!!

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