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柳田国男「蝸牛考」(方言周圏論)から寺山修司「カタツムリの笛」へお飛躍

日本語教員試験国家試験日まで、残すところ43日。今日で受験勉強を始めて十日目。基礎試験の模擬をやってみて、用語の知識も中途半端ではダメダメだと実感しています。

地域方言の分け方として、赤本(日本語教育能力検定試験「完全攻略ガイド」)には、「方言周圏論」「東西分布型」「複雑分布型」の3つが紹介されていて、ちょっと嬉しくなりました。なぜなら私が尊敬してやまない柳田国男の「方言周圏論」が掲載されていたからです。

「方言周圏論」は柳田国男の「蝸牛考」という論文で提唱されていて、言語地理学における日本初の成果です。

当時の文化中心地だった京都から、テデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジのように、同じ方言が円心円状に分布していることを発見し、円心円の中心地(京都)から周辺に向かって方言が伝播していったと考えた。

日本語教育能力検定試験「完全攻略ガイド」第5版 405ページ

赤本では「方言周圏論」の説明はこうなっていますが、この説明だけでは不十分だと思います。実際に、京都を中心に地方に言葉(蝸牛)が伝播したことには違いありませんが、空間的な広がりだけでなく、歴史的な時間の経過を考慮する必要があります。

なぜわざわざそう言うかというと、柳田国男は時間をかけて地方地方に自分の足で赴き、言葉の変化を注意深く観察した人であり、言葉の時間的変化が「蝸牛考」の肝でもあると私は考えるからです。(ここは私としてはこだわりたいです。)

一般的に、京都のような中心地の方が、言葉の変化が早く、田舎の方が遅い傾向にあります。つまり田舎では古い表現がそのまま残り、都会に近いほど新しい表現が生まれているという観点も見過ごせません。

(柳田国男には、地方の古くからの方言や民話・昔話についてのたくさんの研究成果があります。)

「蝸牛」の時間的変化を、古い順で言うと、ナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→テデムシになり、分布の流れとは逆方向になります。この論点は大変興味深いものです。

木の年輪を想像してみれば、木の幹は中心から外側に大きく広がり、中心が古く、外側の方が新しいですが、それに対して、方言は逆で、外側から中心にどんどん新しく変化するというのが、「方言周圏論」で看過できない点です。逆説的には、方言の起源を探るには、中心地(京都)ではなく、京都から離れた地方に見出すことができると言えるのです。

言葉のルーツを探しに京都から地方へ行ってみたら、古き京都に戻ることができるかもしれないということです。

ところで、寺山修司に「カタツムリの笛」の中にこういう一説があります。

この世界では、まっすぐの道はすべて迷路なんだ。
なぜなら、まっすぐの道は、どこまでも歩いてゆけば、必ずもとの場所に戻ってくる。何しろ、地球は球体をしているからね。

寺山修司「カタツムリの笛」

テデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジ」

「ナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→テデムシ

テデムシがもとの場所に戻ってきました。寺山修司ならきっと柳田国男を読んで、「周圏の逆円心理論」から発想を得たに違いないと思ってしまったわけですが、私は元も子もないことを書いてしまいました。寺山修司は、きっと「まっすぐの道を歩いてもどこへも行けないよ。そもそもまっすぐの道なんてどこにもありもしないのだから。」と言いたかったのでしょうからw

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