見出し画像

ムダに教養がつくかも知れない不定期な雑学講座の連載(講義中は寝ないこと)~世界宗教の基礎知識2「仏教」をひもとく  第2講 大乗仏教の成立 その7

大乗仏典は、「書き加えられて」作られていった

漫画とか小説、物語でも、「二次創作」という現象があります。
現にあたし自身の作品でも、二次創作にあたる
「スピンオフ」が増殖しております。

阿弥陀仏信仰につながるお経は、「浄土三部経」といって、
 無量寿経(大経)、観無量寿経(観経)、阿弥陀経(小経)です。

 無量寿経と阿弥陀経の成立は法華経と同じ頃成立したとされますが、
観無量寿経は、インドで成立したのではなく、
中国で創作されたとされます。

これらの教えは、経典そのものというより、
「阿弥陀仏への信仰」が重点を置きますので、
いわば「浄土教」といえる教えになっています。

 日本において「浄土信仰」が
爆発的に流行したのには、理由があります。
この教えが広がったのは平安時代の後半です。

この頃は律令制度も形骸化し、
仏教界も堕落し僧兵を抱えて争うようになっていました。
そればかりか各地で天災や飢饉が続出、
大変な社会不安の時期でした。

こういう社会不安の中「末法思想」というものが流行します。
末法思想というのは、仏教の歴史観で、
ブッダが入滅したあと正しい教えは徐々に衰退していき、
やがて教えがまったくなくなり、
現世においては悟りを開くのが不可能な時代(末法)が来る。
という考え方です。

そもそもは未来仏(弥勒菩薩)に結びつく考えでしたが、
まるで世界の終末観のように日本では伝わり、
それが平安末期(永承7年=1052年)から始まると伝えられたため、
時の社会不安と重なって、怖れを抱いていたのです

 そうなると、「この世では救いはない。現世で悟る事はできない」
という末法思想に囚われた人々は、どこか違う世界に逃げるしか道はない。
と考えるようになります。

このような情勢の中で「浄土教」は、
この世においての修行は放棄し、
阿弥陀仏の「本願」にすがり、
極楽浄土に往生してブッダになる修行を行おう。
という目標のもと、「南無阿弥陀仏」と念仏すれば、
みな極楽に往生できる。
と説いたわけです。

まるで二次創作

この修法プログラムは、般若経や法華経と
ずいぶんアプローチが違いますが、
悟りに至るプロセスは共通しています。
ただ、それが、現世で悟るのか、
別世界で悟るのかという違い
です。

すなわち、般若経や法華経の内容では、
自分たちはすでにどこかでブッダに出会っており、
菩薩になっているのだ。という前提から始まります。

ところが浄土教では、
自分はまだ菩薩にはなっていないので、
これからブッダに出会って菩薩になるのだ。
という前提になります。

現世にはブッダはいない(末法)のですから、
56億7千万年後に現れる未来仏(マイトレーヤ=弥勒菩薩 )
の出現を待つしかないのです。

 そんなに待ってられません。
そこで浄土教においては、この現世(娑婆)とは
別の世界があると想定しました。

般若経や法華経は「過去に出会った」という
時間の概念であるのに対し、
この世とは別の世界が無数にあるよ。
という前提で、「ブッダが存在している世界=仏国土」があって、
死後にそこに生まれ変われれば、
ブッダに出会って自分は菩薩になれる。と考えたわけです。

そこで、現世ではとにかくその仏国土に生まれ変わりたい 。
そして、そのブッダになるために
もっとも修行のしやすい仏国土に生まれ変わりたいと願うわけです。
つまり、優秀な「個別指導のトライさん」を求めるということですね。

画像1

極楽浄土は、ブッダになれる最高の教育機関

さて仏教においては、一つの仏国土には
一人のブッダしか存在しないことになっています。
ですから、普通の仏国土では
なかなかブッダに出会える機会は少ないのです。

そこで、別の仏国土にも
自由に行き来できる環境にある仏国土に行けば、
より効率的にブッダへの道を進むことができると考えます。
そして、その理想の環境が「 極楽浄土」であり、
そこの校長が「阿弥陀如来」である
というわけです。

そこで、なにゆえ阿弥陀仏の「極楽浄土」は
ブッダになるために最適な環境が整っているのか、
理由を述べましょう。

  阿弥陀仏が菩薩になる際=ブッダに会った時の話になります。
阿弥陀仏はこのときは法蔵菩薩と名乗っていたのですが、
このときの先輩ブッダの
世自在王仏と交わした誓願が、ふるっていたのです。

法蔵菩薩は先輩にむかって、あなたのようになりたいと思う。
と共に四十八の願掛けを行います。
そして、もし修行を終えたとして、
自分の仏国土が他者の菩薩行に役立ち、
どこよりもブッダになれる世界にならない限り、
自分はブッダにならない。

 という誓いを立てたのです。

そのための数々のアイテムがちりばめられているのが
「極楽浄土」という阿弥陀仏の仏国土であるというわけです。

 すなわち、阿弥陀仏は自分の悟りだけでなく、
すべての生きとし生けるものの成仏を願っていたという事になります。
このことを「阿弥陀如来の本願」といいます。

そして、特徴的なのは、阿弥陀仏の存在は、
お釈迦様によって「このようなすごいブッダがいる素晴らしい世界がある」というような、いわば紹介役としての役回りになっています。
したがって、浄土教では
お釈迦様より阿弥陀仏の方が上位に位置づけられています

阿弥陀如来は二次創作のヒーローか?

阿弥陀仏の存在は、初期仏教にはありません。
これはあくまでも大乗仏教において、突然に創られた仏様です。

この存在はサンスクリット語で
अमिताभ アミダーバあるいは अमितायुस्アミターユス」で、
途方もないアミダアーバアーユス
という意味です。

それを漢訳すると無量光仏とか無量寿仏となります。
サンスクリット語をそのまま音訳したのが
「阿弥陀仏」ということになります。

 この出現に対しての諸説は、
異教の影響とかゾロアスター教起源とかあり、
その誕生ははっきりしていません。

ただ、この頃になると、
お釈迦様だけが唯一のブッダであるという考えは薄れていきます。
そして、「ブッダ」は、時空を超える「如来」
という位置づけになります。

お釈迦様は「釈迦如来」となり、
そのほかにも大日如来、薬師如来、阿粛如来など、
たくさんの「ブッダの同僚」が登場します。
仏国土の空間的広がりによって、
たくさんのブッダが増殖したというわけです。

ここから先は

0字

伊集院研究室ゼミ

¥100 / 月
初月無料
このメンバーシップの詳細

この記事が参加している募集

#とは

57,764件

#最近の学び

181,262件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?