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浦上咲を・・かたわらに ε (epsilon)

Episode5 ひこうき雲

これこそはと信じられるものが
この世にあるのだろうか
信じられるものがあったとしても
信じないそぶり

 咲が僕のギターをつま弾いて、かたわらで歌っている。
僕は四畳半の下宿の狭さを何となく感じながら、かたわらでごろんと横になっている。

窓の外は、冬枯れ。

 関東地方は本当に冬は晴天が続くものだ。僕の生まれ育った北国では考えられないことだった。冬といえば鉛色の空、そして吹雪。

 冬とはいえ、このように窓を開けて空を部屋からながめられるのは実にすがすがしく、心地よいものだ。

「拍手ぐらいしてよね~。( ̄。 ̄)」

咲がむくれている。

 最近、女子の中でもギターが流行っているようだった。女子学生が骨っぽいプロテストソングを歌うのは何となく違和感があったが。咲が歌う多くの歌は、最近流行の歌手のものだった。

「あ・・・・、ひこうき雲。」

   咲が指さす方向に、す~っと一条の雲が伸びていた。
咲はまた無邪気に歌い出す。ギターはお世辞にも上手いとは思えない。

「せんぱ~い、Fのコードがどうしてもダメなんだよね~。」

僕は苦笑しながら、カポタストの使い方を教えるのだ。

「押さえ方を変えても、おんなじ音が出るんだね。」

そう、真実とというか、そのものに至る事実はいくつもあるということだ。

「せんぱい・・・。ひこうき雲って、ときどきすごいな~って思うことがあるんだ。」
「ふうん、なんで?」
「だって、何もないところからす~ってできてるんだけど、また何もないところにふわふわっていっちゃうじゃない。最初はとんがってて、だんだん柔らかくなって、いつの間にか消えるのね。というか、もとの何もないものに戻る・・・。」

咲の指さす方向には、広く風にながれる飛行機雲が薄く広がっていた。

「あの子の命は、ひこうき雲・・・・。」

 咲が本当に無邪気に素直にギターをつま弾いてそう歌っている。
だけれど、咲は、その歌詞や自分が何気なく言った言葉に対して何も気づいていないし、その意味がわからないからむしろ
「気づかないから気づいている」自分がわからないでいる。

だから、いいのだ。

 真実には講釈は要らない、感じるのみなのだ。
僕はそう考え始めていた。

 だが、おそらく先人は、そういうことで悩んだのだと思う。
自分だけが感じればいいのか、そして、自分の心だけが解放されればそれでいいのか。それでは自己満足に終わり、我執のもとと変わらない。かといって、こういうものは人に無理矢理押しつけるべきものでもない。

たぶんそれは大きな課題なのだ。

 人が何も気づかないことを無明という。だが、その無明にいるものを引き上げようと考えるのはある意味お節介なことなのだ。

 求めていないものに、無理に求めさせる必要はないのだ。

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