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「おもてなし」ができない五輪って

東京オリ・パラの「無観客開催」が、
なんとなく現実味を帯びてきたようです。

そもそも「開催」できないのではないのか。
から、いつのまにか観客を入れる入れない。
に話がすり替わっている感がします。

思わず、小泉環境大臣夫人のあの人の「お・も・て・な・し」
の画像が、なぜかフラッシュバックしてしまいます。

おもてなしという語源にはふたとおりあって、
一つは「持って為す」という言葉の丁寧語。
もう一つは「表裏なし」の略語という説があります。

いずれにしろ、相手のことをおもんぱかって接することと、
その見返りを求めない。という二つの要素が大きな柱となる行いでしょう。

この当時、各県の学校でも
「おもてなし=ホスピタリティ教育」に
新年度から取り組んでもらう旨のことが伝えられました。

 何かの本でしたでしょうか、
コラムだったでしょうか忘れましたけれど、

おもてなしをするためには、
自分の心に余裕がなければいけないのであり、
そのためには自分をしっかり磨く事が必要だ。
ということが述べられていました。

たしかに「おもてなし」するには
高度な観察力とコミュニケーション能力が必要であろうと思います。
言ってみれば日本の精神文化の原点とも言える要素を持っています。
むろん、このことは武道や茶道といったものにも通じているといえます。  

  心に余裕をもつために自分磨きをするには、
古来、どのような文化であっても
「思索」というものがその方法として採られてきました。

思索すると言うことは考えることですが、
大事なことは「正解や結論のない」事
について考えることを「思索」といいます。
その主なものが「哲学」です。

 東西を問わず、昔の紳士・淑女と呼ばれるような人々は、
好んで哲学を論じたと言われ、
また、武士や貴族は論語などの漢籍や、
禅などに親しんだと言われています。

いずれも結論の出ない事を思考することによって
心に余裕が生まれ、それが生活に現れるからです。

今の社会情勢を見ると。
「結論(答え)」ありきで、
それに向かって、一生懸命「帳尻あわせ」
を繰り返しては、「想定外」に
打ちのめされる繰り返しの観が
しないわけでもありません。

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