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あたしの「参政権」行使のポリシー

歴史を学ぶ際は「なぜ」そうなったか、理解すると面白いです。

たとえば、徳川綱吉が貨幣の質を低下させた件について。
「金の含有量を約30%も減らしたことから、
1枚の小判の価値が変わってしまい、経済が混乱しました」
と。これはとても大事な指摘です。

貨幣の質が低下し、流通量が増えてインフレが起きる。
子どもの頃、こういう話を聞いていると、
現代の経済政策について、理解が深まるはずです。

では、なぜ綱吉が「このような貨幣改鋳」を行ったのか。

綱吉は、最近の研究では、いわゆる「大きな政府」
をめざしていたようなのです。
つまり、民生に力を入れた「福祉国家」です。
それが嵩じての「動物愛護」政策まで発展したことがわかってきました。

そうなれば「お金がかかる」だから財政難に陥るわけです。
いわば「赤字国債」乱発のようなものだと言えるでしょう。
ですが、インフレだと商人は儲かります。元禄文化はこうして発展した

かといって、「人道」的観点から「一切の殺生」を禁じるわけです。
だったら「治安」は安泰になったはずです。

「綱吉暗愚論」は後の為政者が貼ったレッテルであることも
わかってきました。明智光秀もそうです。

政治はデメリットを意識しつつ、メリットを探る。
こういうバランス感覚が「平時」には重要だとわかるわけです。
ここに「歴史を学ぶ」意味があるのです。

 昨今歴史探究で流行っている「再評価」ですが、
最近は太平洋戦争当時の「指導者」にも色々試みられています。

 しかしながら、この戦争の中で立派に行動した人がいた、
ということに触れるだけではいけないと思います。

 太平洋戦争について、最近あたしも「論考」してるのですが。
そこでテーマに考えているのが、「決断」と「責任」のあり方です

 たとえば、負けることが分かった時にどういう指揮を取るか、
「最後まで戦え」という命令を残して自決するのは
リーダーとしては失格ではないでしょうか。
自分の美学に殉じるのはよいですが、残った者の命をどう考えるのか。
特に非戦闘員の命をどう守るのか考えられない人は、
指導者としては批判の対象になるものだからです。
ここで言う「非戦闘員」とは、無辜の国民すべてなのです。

 そういうことを学ぶのが「歴史」です。
 今は、よその国の人がどういう歴史観を持っているか、
知る必要がある、また、ゆえの価値観がある事を理解することです。
だから、自国の歴史を、世界史的な見方で俯瞰することは
とても大事な観点だということが言えるわけです。

 教育は人を作ります。
未来の主権者を作るのにふさわしい教育は
どんなものであるべきなのでしょうか。

あたしは「教育」をここまで真剣に考える人に
票を投じたいと思いますね。

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