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「空(くう)」について・・続論

だけども、数学に置き換えて考えてみます

 さて、今回も性懲りもなく「空」についてお話を致します。というのは、前回、空を表す記号は「0」であると申しました。今回はこの「0」の性質から「空」について考えてみることにいたしましょう。

 数直線ってご存じでしょうか。 -1 -------- 0 -------- 1 てな感じで、中学生の数学の時間に「正負の数」を教えるときに使うあれでございます。

 さて、この数直線を見て一番最初に気付く事がありますね。それはどういう事かというと、もしそこに数字(+)が現れたら、必ずその対極に同じ数字(-)が存在するって事なんです。

お気づきになりましたか?

 数学には、「実数-虚数」とか、「有理数-無理数」みたいな、何となくわけがわからないややこしいものもあるんですが、いっちゃん単純ていうかそう言うのでいえば、正の数と負の数があるよって事でしょうか。

光があるから影がある。表があるから裏がある

 1という数字があったら、その数字には必ず-1が存在するというわけです。平安時代に流行った「陰陽道」もまさしくそれです。文系的表現だと「光があるところに影がある」こういういい方もしますね。

 で、そこで気づいて欲しいのは、その真ん中に何があるかっていう事なんです。 
 さよう、「0」ですね。つまり、「0」は双極の真ん中にまさに存在するというわけです。従って、どんな数字(現象)であろうとも、正負があるわけなのだから、これらの真ん中には「0」しかないって言う事ですね。
 概念としての「空」とは、すなわちこれらの現象の真ん中に位置する性質を持ったモノだよ、と言う事ですね。

 このことは、ブッダが説いた、両極端に片寄らず、中道を行け。という究極の「ありかた」の象徴的な表現であるともいえるでしょう。
 ですから、この「空」という観念は、大乗仏教における、もっとも基本的な考えなのです。この考えを「般若(パーニャ पञ्ञा)=パーリ語」と呼び、「智慧」ともいわれます。般若心経はこのエッセンスをまとめたお経です。

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現象の真ん中に「空」がある

 さて、それではこの「空」の性質についてもう少し突っ込んでみましょう。
 あたしとしては、「月の満ち欠け」で考えてみようと思います。

 そこで質問です、月の満ち欠けにおいて、もしそこに「空(0)」の性質を見いだすとするなら、次のどれか。という問題です。

   ① 満月 ② 新月 ③上弦の半月 ④下弦の半月


 答えは、「すべてに空の性質がある」ということです。

なに~~(*`Д´*)p  と怒られるかもしれませんが、こういうことです。

 ひとつには、満月も新月も、対極にあり続けながら変化していることにおいて、どちらも「空」である
 また、上弦下弦双方の半月は、その半分が満月であり、かつ新月である事において「空」である。ということです。

 しかも、そもそもその現象を生み出しているのは、日光という縁であり、月そのものは満月でも新月でも半月でもないということにおいて、月そのものは「空」であるということです。そして、現象としての満月や半月、新月は「太陽という「因」の結果として生じた日光という縁」を受けて、そこに顕れているといえます。

つまり、そう見えているだけ。というわけでございます。実体の本質はあるけれど現象としての実体はないものだ。「色即是空・空即是色」とは、こういうニュアンスであろうという事ですね。

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