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飛鳥の受難

 その夜、耕作と咲の夫婦は、程良い酔いの中にいた。耕作が、咲の小さな唇に重ね合わせたい衝動を持ったとき、チャイムと共にドアをけたたましく叩く音が聞こえた。耕作と咲はただならぬ気配を感じた。ドアに向かう咲を制して、耕作はドアに向かって言った

「・・・どちら様ですか?」

「・・耕作!俺だ、開けてくれ。」

 純の声だった。

 耕作はドアを開けた。

 そこに意外な光景がそこにあった。純は乱れ姿のうえ、涙でくしゃくしゃになった飛鳥を抱きかかえるようにしてそこに立っていた。

「・・純、・・・飛鳥ちゃん、どうしたんだ。」
「話はあとだ、とにかく入れろ。急を要する。」

 純のせっぱ詰まった物言いに、耕作は純と飛鳥を部屋の中に入れた。

「飛鳥・・?どうしたの?」
咲は連れ込まれた飛鳥に驚きの声をあげた。

「おねぇ・・ちゃん・・・・!」

 飛鳥は咲に抱きつくと大声で泣きじゃくった。
「純・・おまえ、まさか。」
「バカ・・誤解だ。今から話す。とにかく水を一杯くれないか。」
「・・ああ・・。」

 純はコップの水を飲み干すと、咲に抱きついて泣きじゃくる飛鳥に声をかけた。

「もう大丈夫だから、飛鳥ちゃん。心配ない。」
「純・・、一体何があったんだ。」

「駒沢公園で・・彼女が乱暴されていた・・。」
「・・え?」
「俺がたまたま通りかかったんだ。」
「おまえが助けてくれたのか・・・。」
「まぁ、そうなるかな。だけど、俺は、今から飛鳥ちゃんを襲った相手をぶん殴りに行く・・。」
「おい・・。」

 耕作は純に問いただした。純は飛鳥を襲った相手を知っているのだろうかと言う疑問ができたからだ。

「知ってるのか・・・。」
「ああ、しかも、飛鳥ちゃんがこうなったのは、俺が原因かも知れない。あの野郎、またあゆみの時と同じ事やりやがった・・・。」
「・・・え・・・?」

 内海あゆみの事だった。耕作は何がなんだか解らなかったが、何かただならぬ怒りを純から感じ取っていた。やがて、その怒りの同期がふつふつとわいていたのだった。

「俺も行く・・。」

 状況はよくわからないまま、耕作は飛鳥を咲に預け、純と共に夜のとばりに飛び出した。

「純・・。」
「何だ。」
「・・・相手ってのは・・?」
「なんだ、それもわからんで一緒に来たのか?相変わらずだな。」
「・・性格は変わらん・・。」

純は笑った。

「俺は、京都、引き払ったんだ。もうあそこの組織には戻れない。すっかりやつらにやられた・・・。」
「また、セクトの争いか・・・。相変わらず進歩しないな・・。」
「まぁ、そう言うな・・。俺はもう目が覚めたよ。」
純は耕作を向かずにまるで自己陶酔するかのような口振りで言った。
「・・ただ・・、それで俺は完全に孤立した。どちらからも敵視されている。」
「聞き捨てならんな・・。」
「おまえにスクープをリークしてやってもいいが、事態はそんなに甘くはないと思うぞ。」
「おまえをだしにして、スクープとろうなんて思ってないさ・・。」
「・・だが、いずれは頼むかもしれん、俺は危なくなるが・・。」
「おまえが危険になるんなら、それはお断りだ。」
「何故だ・・。おまえもジャーナリストだろうが・・、社会のためには必要なことだ。」
「おまえは友達だからな。」
「ふふふ・・。」

純は笑った。耕作も笑い返した。そこに妙な連帯が生まれた。

「・・そうだ、友達だ・・、おまえは。」
純がそう言うやいなや、耕作の急所を撃った。不意をつかれ、完全に耕作はうずくまった。

「・・友達だからな・・。あいつ等は手段を選ばないんだ。俺のためにこれ以上、おまえたちを危険な目に遭わせるわけにはいかん・・・。」
 そのまま耕作はその場で気を失い、横たわっていた。

*    *    *

やがて、気がついた耕作は、純を心配しながらも仕方なくアパートに戻ることにした。

 アパートに着くと、幾分飛鳥は落ち着いたらしく、咲の服に着替えて、こたつに入っていた。始終うつむいてはいたが。咲と話はできていたようだった。
「・・・飛鳥ちゃん・・。」
「こうさく・・。そっとしてあげて。」
咲がそう言って僕の言葉を遮った。耕作は、純に殴られた後頭部ががんがんするのを我慢しながら、こたつに入った。 飛鳥は黙ったままだった。

「・・・咲・・、ビール、あるかな・・。」
「・・うん。」
咲は冷蔵庫からビールを持ってきた。
「・・・あたしも飲む・・。」
飛鳥はおもむろに言った。
「・・・・ダメ?・・・ダメだよね・・・。やっぱ。それでもいいか・・。」

 飛鳥は笑いながら言った。
「・・・無かったことにして忘れたい気もするけど、忘れたくない気もするの・・。」
「・・・え?」

 飛鳥は、自分の身に起こったそのことよりも、その後、自分が助けられたという感情の方が上回っているような感じだった。

「あたし・・・・、もしかしたら村野さんを・・好きになっちゃったかもしれない。あたしにとっては、おじさんみたいなんだけど。」
「純を?・・・。」
「・・・うん・・・すごく、なんか心が助かった。なんかずっと一緒にいたい感じ。」

 飛鳥は真っ赤な顔をしてうつむいていた。

「あたし・・、死んじゃいたいと思った。恥ずかしくて・・・。情けなくて。でも、ここまで村野さんがずっと励ましてくれたの・・・心にしみた、あんな優しくて強い言葉はじめてだよ。」

 耕作は純のことが気になった。思い過ごしかも知れないが、純があのようにいきり立っていったのは、飛鳥の気持ちを察したのかも知れないと思った。

「・・でも、忘れて、今の言葉。・・・あたし、まだ子供だもんね・・。それに・・、今は、すごく男の人全体が怖いんだ・・。これが本音かな。・・」
「・・・純は、君を襲った相手を知ってるみたいだった。」
「・・・え?」

咲が驚いたような顔を見せた。

「・・・じゃ・・、今頃村野さんは。」
「・・うん、危険な相手かも知れない。あの野郎、僕を邪魔だと言ってぶん殴って一人で行ってしまった・・。情けないことに、僕は気絶してしまった。」
「・・情けないなぁ・・。」
咲はくすくす笑った。

「・・・やましな・・・。」

飛鳥がつぶやいた。

「・・・え・・?」
「あたしが襲われてたとき、純さんがそう叫んで走り寄ってきたの。・・・でも、もういい・・・。ああ、イヤだ・・・、もう忘れたい。」
飛鳥はまた炬燵に突っ伏してしまった。
「・・山科・・。」
耕作には聞き覚えがあった。

(・・・山科禄郎・・・。)

 次の日に飛鳥を、咲が大岡山に送ることになった。
 耕作は無理矢理にそうしたのだった。「山科禄郎」が気になっていたのかも知れなかった。アパートまでハイヤーを呼び、耕作は二人を乗せたあと、いつものように出勤した。

「なんだか、大げさね・・。」
 咲は不思議そうにそう言ったが、咲はなんとなく雰囲気を察して強くは言わず、そのまま大岡山に向かった。

 ただ、このことは飛鳥の心にとっては、「マイナスもプラス」をふくめて、大きな区切りになったことだけは確かだった。

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