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技術に対する「安全神話」とは、傲慢な感覚なのである

 飛行機って、実を言うと、あたしゃものすごくニガテなんですな。とにかく、宙に浮いているという不安定感というか、人間がそもそも「絶対的に持っていない能力」に対し、完全に依存しているその感覚がダメなんです。

   たとえば自動車とか鉄道とかだと、確かにその速力においては人間の能力を超えてはいますけれど、これらは地に足をつけていますし、船だって、人は「泳げる」じゃないですか。だけれど、どんなに頑張ったとしても、人は生身では飛ぶことは出来ないんですよ。(ㆀ˘・з・˘)b

 そんな「完全依存」があたしは何か不安で、それで飛行機が嫌いなんです。ですが、ひょっとして考えると、「人間の物差し」から見た感覚なのは、よくわかります。鳥にしても虫にしても、宙を飛ぶ生物は確かにおりますし、そもそも地球自体が「宇宙」に浮いているわけなんですから、あたしのこの恐怖はホントにちいちゃなつまらないものなんです。

   そもそも大自然の中で、人の能力なんてたかが知れてるから、「絶対他力」という自然に任せろという考えもありましょう。そういうシステムが出来てるんだから、おのが命を偉大な力に任せよという考えですな。

 でも、でもですよ、やはり人間はもともと翼なんかありませんし、空を飛べる能力なんて無い存在なのですな。ただ、それを知恵と技術で可能にしているわけなんです。

  ですが、それが万能だと思ったら傲慢が生じます。「安全神話」がそれなんです。人が本来持たない能力を扱う場合、そういった「自分にはない能力」に対する、基本的な畏敬がないといけないと思いますね。

*注)この記事は10年前に書いた、あたしのブログ記事の復刻版です。
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