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無駄に教養が付くかも知れない不定期な雑学講座(寝たら無明の闇に落ちる)~観音とはいかなる存在か~その2

求めても求めても満たされない心を救うには、千の手と目を持つ「千手観音」

 観音様でも、たくさんの手とたくさんの顔を持った、
およそ人間離れして、なにやら怖ろしげな姿の観音様の「変化身」
「千手観音菩薩」です。
そうそう、千手観音と言ったら
中国障害者芸術団 のがすごくきれいですなぁ (ゞ・∀・)bカンケイナイナイ

 この千手観音の担当部署は、
ズバリ「餓鬼界」であります。

餓鬼界に棲む人の心ったらそら~
「貪り尽くす」の一言に尽きますな~。
何でもかんでも欲しくて欲しくてたまりません。
とにかく欲望のままですから、

あなた、これを救ってやるにゃ、
いくつ手があっても足りませんわいな。
そこで観音様は、この欲張りなニーズに応えるために、
千の手と目を持つ千手観音に「変身!」というわけなんです。

実は、この千手観音は観音が持つ、
万能の救済能力の具体な最大限の姿とされてるんですな。
言ってみればスーパーサイヤ人みたいなもんです。
まさに、かゆいところに手が届くように
衆生のワガママを聞いてくれるんですから、
「餓鬼界」にはもってこいです。

なんせ、千の手の先にはすべて目がついているんですから、
見逃すことなくあまねく救いの手を出せましょう。

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欲の化物のようになった己の姿を映す

ところが、この千の手と目は、
冷静に考えれば、
どう考えたってまともじゃありませんよね。

もし、仏像が自らの状態を映す
鏡のようなものであるとするならば、
餓鬼の心にとらわれた人の、
果てしない欲望の具現そのものだとも言えましょう。

その愚かしい心に対し、観音菩薩は千の顔と目、
そして11もの表情を持って、
その欲に対応しているわけです。

しかし、それぞれの手には、
斧やらドクロの頭のついた杖やらを持っているんです。
ですから、あるいはその貪る心を、
一つ一つ監視し、諫め押さえることによって、
本当の意味での「仏法による救い」
表しているようにも思えます。 

果てしない欲望は、
そのすべてにおいて、
ただ貪ることをやめ、自らがその欲自体を制することが、
「救い」につながるのだと言うことを象徴しているような
観音様の「変化身」であると思いますな。

時には厳しい躾もなければ、救いはないのだぞ、という「馬頭観音」

畜生界の担当課を受け持つ変化身は
「馬頭観音」という姿になります。

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この馬頭観音はめちゃくちゃ怒ってるんです。
他の観音像とはえらい違いです。
この表情を「憤怒相」といいます。

 畜生界というところに棲む人の心は、
常に目先のことしか考えずに、
愚痴の心が支配し知恵が全くない状態です。

まるでどこかの国の政治家のように、
本質を見ないで目先の対応しか考えていない状況なのです。
こんなのも救わにゃならんのですから、
いくら観音様だって、
どうしても怒りの表情になりますわな

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 わるいな~と反省したその矢先で
また同じ事を繰り返してしまう人などは、
まさにこの畜生の心なんです。
こういう時は逆にきちっと叱ってやることが、
本当の救いになるのではないでしょうかね。
あたしゃ思いますよ。
まだ、叱られるくらいになったっていうことは
まだ、自分で気づける見込みがあるからです

たとえば、今の世界って、」よくよく考えたら
大変な状況なんです。
だけど、目先の利権に囚われて、
未来に大変な禍根を残しかねない状況にもなっている
現実はどうですか?

あたしゃ、
今こそ馬頭観音のように「怒るべき」だと思うんですがね。
でないとこの無知蒙昧な「畜生界」は救われません。

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