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「レ・ミゼラブル」

ああ無情、という題名で、ちいちゃい頃に呼んだ記憶があります。
ビクトル・ユゴーの作品です。
日本では明治時代に翻訳紹介されたものです

全体の物語は、おぼろげで、かつ複雑に入り乱れているので、
全容はほとんど覚えてはいないのですが、
たぶん、「冒頭」のエピソードになるであろう
「シーン」は印象に残っています。
なんせ、これ読んだの小学校2年生だったから、
それ以来読んだこともなかったのが本音です。

ですから、その時の記憶で、この「感想文」を書いてみます。

 たとえばです。
「好意」が仇で返されたとしましょう。
こういうとき、あなたならどのように対処するか・という命題です。

 中学校とか小学校の「道徳」の時間で、
結構この題材が使われた時期がありました。
意外と難解なので、今は使われていないようですが、
こういう内容です。

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 たった1本のパンの盗んで、服役することになった
「ジャン・バルジャン」という男、
何度も脱獄を繰り返したために、なんと19年も牢獄に入っていました。
出所してからなのか、脱獄中なのかは定かではありませんけれど、
執拗に警察に追われているというのは、
「脱獄中」だったのじゃないかとも思うのですが、定かではありません。
まぁ、出所してきた前科者を、19世紀当時じゃ冷遇されますね。
そういう背景で心が荒みきった男。という設定です。

 それで、あたしが印象に残っているのが、
このジャン・バルジャンが、教会を訪れたあとのくだりです。

 さんざん冷遇されたジャン・バルジャンは、
ディーニュのミリエル司教の司教館にたとりつきます。
ミリエル司教は、彼を温かく迎えたのですが、
事もあろうにジャン・バルジャンは、
司教の大事にしていた銀食器を盗んでしまいました。
つまり、「恩を仇で返した」とんでもないことを
しでかしたわけですな。

 翌朝、、このクソ野郎は案の定警察に捕まります。
警察は「窃盗」で彼をぶち込もうとしますし、
被害者である司祭も当然怒りをぶつけるはず。
ジャン・バルジャンは客観的にみても
クソヤローな犯罪者であると言うことです

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 ですが、ミリエル司教は 「食器は私が与えた」
と彼を放免させた上に、残りの2本の銀の燭台も彼に差し出しました。
 ジャンバルジャンは、
ここで「人間や社会に対する憎悪」を打ち砕かれた。

というくだりなんですが。

ふと思うのです。今まで、結構同様なことやっては来たんですが、
つまり、いずれ自分の過ちに人は気づくのだから
深く追い詰めるのはするべきではない。
当人の再起を期して、赦す得るものはそれでもいい。
つまり、あえて「知らないふり」をする。

そのたびに、
「あまいですよ、なに考えてんですか?」
と、がっつり言われて、言葉を封じられたこと。最近は多くなりましたね。いいんだか、悪いんだか・・・。だけど、すべからく「赦す」心って・・ね。考えちゃうかな。

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