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そもそも性善説とは何か
「王道」とはなにか。
孟子さんはの根本思想は、あくまでも孔子さんの「儒教」です。
その理念に基づいて、人の性が善であることを説きました。
すなわち、仁・義・礼・智の徳を誰もが持っている
4つの心であると論拠づけたのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1661336217333-C0HdylWyfB.jpg)
この4つの「心」を「四端」とよびます。
これは「四つの端緒」という意味で、それは
・「惻隠」(他者を見ていたたまれなく思う心)
・「羞悪」(不正や悪を憎む心)
・「辞譲」(譲ってへりくだる心)
・「是非」(正しいこととまちがっていることを判断する能力)
と定義されます。
この四端を努力して拡充することによって、
それぞれが仁・義・礼・智という
人間の4つの徳に到達すると言うのです。
ですから、これを実行するには、
「人間は本来は善である」という前提が必要になります。
さらに言うなら、これらすべてを有しているものこそが
「人を治める途」を実行できる「王道」を実践するものである
と言う理論です。そうすれば自ずと国は栄える。
人々の幸福を仁と義を以て保証できる君主こそが
国を豊かにできるという考えです。
すなわち、「王道」とは
まさに「性善説」であると言うわけですね。
このように、孔子さんは「仁」こそ王道であるとといたわけですが、
孟子さんはこれにバージョンアップして、
「仁義」というものに発展させました。
仁は真心と思いやり、義とは筋を通すという意味です。
ですから、人はそもそも「仁義」を通すものなのだ。
と言うのがある意味「性善説」の正体なのです。
考えてみれば、「仁義」があって、
あのあぶない人たちがバランスを保っているのは、
「信じるよ」っていう
そんな「根本的な信頼」に基づくのかも知れません。
![](https://assets.st-note.com/img/1661336847011-i36vh3Uwdx.jpg)
これが根本にないと、
世の中はあっという間に「混沌」になってしまうからです。
善い悪いの二元論ではなく、
こういった根本から考える事が大事だと思います。
しかし、これは理想だが、
現実的にはちがうアプローチが必要だと述べたのが荀子さんでした。
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