そもそも性善説とは何か
「王道」とはなにか。
孟子さんはの根本思想は、あくまでも孔子さんの「儒教」です。
その理念に基づいて、人の性が善であることを説きました。
すなわち、仁・義・礼・智の徳を誰もが持っている
4つの心であると論拠づけたのです。
この4つの「心」を「四端」とよびます。
これは「四つの端緒」という意味で、それは
と定義されます。
この四端を努力して拡充することによって、
それぞれが仁・義・礼・智という
人間の4つの徳に到達すると言うのです。
ですから、これを実行するには、
「人間は本来は善である」という前提が必要になります。
さらに言うなら、これらすべてを有しているものこそが
「人を治める途」を実行できる「王道」を実践するものである
と言う理論です。そうすれば自ずと国は栄える。
人々の幸福を仁と義を以て保証できる君主こそが
国を豊かにできるという考えです。
すなわち、「王道」とは
まさに「性善説」であると言うわけですね。
このように、孔子さんは「仁」こそ王道であるとといたわけですが、
孟子さんはこれにバージョンアップして、
「仁義」というものに発展させました。
仁は真心と思いやり、義とは筋を通すという意味です。
ですから、人はそもそも「仁義」を通すものなのだ。
と言うのがある意味「性善説」の正体なのです。
考えてみれば、「仁義」があって、
あのあぶない人たちがバランスを保っているのは、
「信じるよ」っていう
そんな「根本的な信頼」に基づくのかも知れません。
これが根本にないと、
世の中はあっという間に「混沌」になってしまうからです。
善い悪いの二元論ではなく、
こういった根本から考える事が大事だと思います。
しかし、これは理想だが、
現実的にはちがうアプローチが必要だと述べたのが荀子さんでした。
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