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日本の仏教がお葬式と深い関わりがあるわけを探ってみる その2


そもそもは寺院維持の「経済活動」だった

 身もふたもない言い方をしますが、
「経済」という概念がどうなんだという観点に立つなら「資本主義」というものと、活動維持に関わる「経済」とは微妙に違う感じがします。
  ですから、この後に展開する「お金」のお話は、「資本主義」とは別物だと考えていただきたい事をはじめに申しておきます。

 さて、仏教においての修行のフィールドは、そもそも「サンガ」と呼ばれる出家者集団でああったのです。
 彼らは基本的に経済活動は行わず、人々の布施によってひたすら修行にいそしむというのが基本でした。

 しかしながら、世が乱れるとこういうシステムは立ちゆかなくなります。
 そんな中で生まれたのが大乗仏教であったのですが、
この考えが中国に伝わり「寺院」という組織集団に成長した際に、どうしてもこの組織を維持管理する「経営」と、それを維持するための「理財」が生まれてくるのは、当然の道筋でした。

 宗教には、まず教義があり、それに基づく修行者が集い、「教団」というものが成立します。
 そしてそれに帰依する人々が、教団の援助を行い、その見返りとして自らの救済を求める。
 すなわちこれだけ奉仕したわけだから、それなりの功徳あるよね。

 ざっくりというと、こういう図式が作られて成立しているわけです。
 昨今問題になっているのはこの「方法論献金」が、真っ当なのかどうなのか。
 ということにつきますが、その奉仕の基準をどこに置くの?ということが実に曖昧になっているのと、
 本来を知らないところから始まっている感は、あたし的には思っているところです。

 長々と言いましたが、結論を言うと、ぶっちゃけ、宗教と教団はまず別々のベクトルで考えてもいいと言うことです。この観点から考察してみることにします。

現法においては、お寺さんもふくめ、「教団」は「宗教法人」という法律上のカテゴリーにいます。

 宗教法人には、税制上の優遇措置があり、儀式や寄進などの宗教上の収入には課税しないという規定があります。
 たとえばお葬式でお寺さんに払うお金は、「営利活動」ではないというわけです。
 言ってみれば寄付なんだけど、これについてたしか「寄付控除」あってもいいかな。なんてのは罰当たりなんでしょう。

木蘭の涙のイメージ

 で、そもそも、なんでお寺さんがお葬式やるようになったんだ?

 そんな素朴な疑問が生まれてきたわけです。
 次回からは、なぜお寺が葬式を行うのという観点で考察していきましょう。
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