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日本の仏教がお葬式と深い関わりがあるわけを探ってみる その3

お寺だって経営しなくちゃならないのだ

 日本に仏教が伝来し、国策として「寺院」が作られました。それが東大寺と国分寺です。そのほかにも有力な貴族や豪族による寄進を受け、様々に「寺院」が建てられていったわけです。
 「建てられました」という教科書観点から、もう少し突っ込むと、建てたけど維持はどうするか。という話になります。
 もっというなら、建てたお寺を、お上はずっと面倒みるよね?という話になりますが、答えはノーです。
 東西問わず、「教団」のような大きな集団になったとき、当然ながら維持管理の必要が生じます。最も大きいのが「経理」でしょう。

 お寺において修行する僧たちの生活基盤を保証しなくてはならないわけです。 修行したり、教学を究めるには、何よりも安定した環境が必要になります。それもたくさんの学僧を抱える大寺院になればなおさらのことです。

 営利活動は出来ないにしても、維持管理費は当然ながら必要になります。では、その財源は大きく分けて二つありました。一つは布施や托鉢。これはざっくり言うと「寄付」の事です。
 一般の人からももらいますが、富裕層などからは高額の布施を受けることになります。もう一つは寄進といって寺の免税特権を生かして土地名義を寺に貸し、代わりに作物の一部を徴収したり、寺院自身が開墾して作物を販売する事で、まかなっていました。

 有力な寺社はこのようにして豊かになり、時には余剰金を貸し付けて利子を取ると言った金融活動も行っていたようです。
こういった活動は、朝廷や貴族の経済的保護を得られないながら、たくさんの修行僧を抱える、臨済宗や曹洞宗の寺院から始まりました。こういった中で、最も安定した収入源として編み出されたのが、寺院による、檀家に対する葬式です。

 日本ではそれまで僧侶が一般人の葬式を営むことはありませんでした。それを寺院が一般向けに行うことで、安定した布施が入るようになったと言うわけです。

 このシステムをはじめに編み出したのが曹洞宗で、「禅苑清規」という、禅僧が守るべき規範や規則を定めた書籍の中で、「亡僧喪儀法」という、修行中に亡くなった僧を正しく涅槃へと導く儀式の手順が述べられています。

 これを元にして、「壇信徒喪儀法」という手順を作り出しました。つまり、檀徒を「修行僧」に見立てて、死後に見性成仏させるという手法をとったわけです。
 これがやがて、江戸時代までにはすべての宗派に広がっていったわけです。

 これが曹洞宗などの禅宗から始まった理由は、このように経済的な理由でした。既成の寺院は、朝廷や貴族の寄進を多く受け、経済的には豊かでした。しかし、後に生まれた鎌倉新仏教の信徒はごく貧しい人々です。

ろうそくが、光るよ

 その中で多くの修行僧を抱える曹洞宗などは、かなり経営は厳しかったと想像できますが、同時にこれが大きな収入源になることに気づきました。そして、江戸幕府による寺請制度で、制度的にも寺院が葬儀を執り行うというパターンが確立したというわけです。

 次回は、それでは具体的にこの儀式はどのような手順で行われ、どんな意味があるのか深掘りしていくことにしましょう。
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