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「悟り」のフィールドをどこに置くか 考察①~鎮護国家~

何度も申しておりますように、
日本に伝来した仏教は、中国や朝鮮半島を経由して伝わった
「大乗仏教」とよばれる系統です。

 東南アジアやスリランカに広がった
上座部仏教テーラワーダ」との違いは、
出家してブッダをトレースして至高の仏弟子となるか、
自分はすでに「ブッダである」事に気づくか。
という、目的は似ていますが、
やり方や、悟りにいたるフィールドが
全くちがうというところにあるのではないのかということです。

しかしながら、「瞑想」という根本プロセスにおいて、
両者に大きな違いはないとあたしは考えています。

ただ大きな違いは、瞑想の場をを非日常に置くか、
日常の中に置くかということなのだろうと、
あたしはおぼろげながら考察いたします。

これは大乗の中にも上座部においても
共通して言えることではないかとも思います。

さて、大乗仏教においての大きな思想の要素を述べ、
日本に伝わった教典の主なものは
「般若経」「法華経」「華厳経」などです。

その他教典には「大日経」「理趣経」などのように
これらの世界観を広げたもの。
「法句経」「維摩経」のように、
原始仏教に近いものも含まれるのですが、
この解説は別の機会といたしましょう。

系統的に日本に仏教を広めようと考えたのは、
厩戸皇子聖徳太子であると言えましょう。
この存在は、日本の仏教のあり方として
「十七条憲法」の冒頭に掲げたわけです。

これは日本国憲法の「前文」に等しい根本理念です。
すなわち「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧である。」という理念でした。

このことでも古代日本は「国家そのもののに仏国土ニルヴァーナを実現しよう」としたことがうかがえます。
すなわちこの概念が「鎮護国家」であったわけです。

このメカニズムは、あくまでも私感ですが、
イスラム法クァラン」にもとづいて、
国家秩序を作ろうとしている「ムスリム国家」の概念と
共通しているともいえるでしょう。

ですから、厩戸皇子聖徳太子は、
為政者や民が理解できるよう、仏典の「解説書」をしたためています。
これが「三経義疏さんきょうのぎしょ」で、

鎮護国家の基本理念の法華経、
民の智慧である維摩経、
女性の悟りである勝髷経、

この3つを解説したものです。勝髷経をあえて挙げたのは、
日本における仏教における最初の出家者が女性であり、
仏教がその伝来時には「巫女」という女性の存在が
無視できないからだったとも推定できます。

このように、奈良仏教までは、
日本という国家自体を「仏国土ニルヴァーナ」になぞらえる
鎮護国家という概念が、言ってみればスタンダードでした。
すなわちこの仏国土の建設こそが「サマタ」であり、
その完成の成就感こそが「ヴィッシャナ」であったろうと考えられるのです。

この点においては
「瞑想」によって「寂静」にいたるというプロセスは、
仏教の原則が、保持されていたのかな。そんな感想を抱くわけです。

つづく


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