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無駄に教養が付くかも知れない不定期な雑学講座(寝たら無明の闇に落ちる)~観音とはいかなる存在か~

観音とは究極の「心の救済者」

観音様は「いかようにも変身する」という事を述べましたが、
その基本の変化は7つありますよ~。
という事も併せて、六道輪廻に応じてますよ~。
という事も併せて言いました。

六道輪廻については、
いまは詳しくは触れませんが、
ざっくりいうと、
地獄界 餓鬼界 畜生界 修羅界 人界 天界
  
の6つの世界(道)のことを言います。

それぞれの世界の様相については、
追々お話ししながら、
対応する観音の化身を説明していくことにしましょう。

これらの世界はそれぞれ性質が違うし、
それぞれ暮らす人々にとっての「感情」などが違います。
であるから、観音菩薩は
それぞれの世界に合った形に変身して
「救済」に当たるわけなんです。

そらそうです。
かのレインボーマンだって、
たとえば燃えさかる火の中にいる人を助けるために、
「水の化身」になりますし、
一番手強い悪いやつにはデフォルトの
最強「太陽の化身」で事に当たりますものね。 

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では、六道の中でもっとも手強いものがいるというか、
助けなければならないのは地獄界です。

ここに墜ちたものは
もはやどうしようもない奴らでして、
とにかく永遠の責め苦を味あわせることでしか
存在価値を作れないという立場におるものです。
まぁ、自分自身を責めてる、「あたしのバカバカ」状態
というか、「最悪の心理状態」であるとお考えください。

絶望(地獄)での救い=如来の化身「聖観音」

生きる者においての観音様の「変身体」で言えば、
ずばり、「如来の化仏」の姿になりましょうな。

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つまり、シンプルに如来の姿を、
ダイレクトにずばっと前面に出すわけです。
この姿が実はもっとも基本形の「観世音菩薩」としての姿である
「聖観音(しょうかんのん)」なんです。
まさにデフォルトです。
聖観音はしばしば如来の侍持としておかれてる場合があるんですが、
言ってみれば水戸黄門の「格さん」みたいなもんでしょうか。

 そもそも菩薩という存在は「菩提薩提」といい、
サンスクリット語で
「ボーディ=サッタ=(覚りに至る努力をしている修行者)」
という意味を持ちます。

この修行者が、このろくでもない
無明の果ての絶望の世界の中にいたとしたら、
その救いの姿は、本来の「如来」の姿を借りて、
仏法そのものの原点から
「基本から救ってやらにゃどうしようもない」わけなんです。

 考えれば、もっとも如来に近い
最強の修行者であるという事です。
つまりそういう姿でなければ、
仏法すら顧みない愚か者は救えないというわけです。

したがって、「御利益」からいえば、
最上最強になりましょうが、
後から述べるとして、この最強の観音様にすがると言うことは、
自分が最悪の状態で絶望しているという極みでもありましょう

観音像は、心や世の状態に応じて姿を変える

その観点から考えると、
仏像そのものの見方が変わるような気がします。
たとえば聖観音に助けを求めるという自分の姿は、
「あんた、人生の道理そのものが本当に解ってないよ。」
という強いメッセージなんじゃないかとも思うわけです。

したがって、観音様だって救済のためには
「あなた、そもそもね、
この世の道理について、自分がまず考えなさいよ」
といってる象徴なんではないかと考えるわけです。

ですから、修行者である聖観音は、
頭に「如来の化仏」を載せた姿で、
ごくふつ~の姿で現れます。

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この仏が目に入らぬか~!目覚めよ

男も女も超えた何ものでもない真理の姿をするわけです。
そして、その化仏こそが、

「この紋所が目に入らぬか~」
的な働きをするわけなんです。

 これで地獄界に落ちている心に
「菩提心」を生ませるのだという事につながるんです。
それが、「救い」につながるというわけなんです。

また、地獄の苦しみにあがいている心に、
「仏がここにおりますから、安心しなさい」
というメッセージによって、
心を楽にしてくれる。そんなものなのかもしれませんなぁ。

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