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ペーターセンをめぐる旅

Life Storyには入れなかった
ペーターセンをめぐったドイツの旅。
当時書いていたブログを編集。


2018年は
イエナプランの創始者ペーターセンに
ハマった1年間だった。



知りたいことは山ほどあるのに
ペーターセンの書籍は、限られていて
彼についての研究論文も、多くない。



毎日、頭の中にペーターセンがいて
なんとか彼に近づけないものかと思って
気づいたらドイツにいた。


アニメの聖地をめぐるような
分かる人にしか分からない
ちょっとマニアックな旅のお話。



<イエナの街にやってきた!>


ドイツ
フランクフルト空港から
電車を2回乗り換え


4時間かけて
Jena(イエナ)の街へ。



日本で買っていた
SIMカードが使えず

ドイツ語も
ちんぷんかんぷん。


よくぞ、たどり着けた。

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電車に乗って、Jenaの街に近づくと、
そわそわ、そわそわ。


車窓から写真を撮りまくる。


次の駅を表示する電子版に
【Jena West】って出た瞬間、
撮りまくる。


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駅のホームに降りてからも
【JENA WEST】の看板に見惚れて
しばらく動けず。


日本じゃ絶対できない
駅で
一人で
自撮り。

しかも連写。


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30時間以上の長旅を
感じさせない笑顔。


駅についたらホテルに荷物を預けてから
散策しようと思ってたけど
とうてい無理。



我慢できずに
ガタガタ道を
スーツケース、ゴロゴロしながら
散策、開始。



最初に目指したのは
隣の駅。


その名も、
【JENA PARADAISE】
イエナパラダイス!!!!

(正式には、イエナパラディース)



こんな素敵な名前の駅に
行かないわけがない♡


ということで
パラダイスに向かって
ゴロゴロ歩いていると
予期せぬ出会いが待っていた。



「じっけんこう!」

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ペーターセンが
イエナプランの実践に使っていた
実験校♡♡


何度も写真を見てきたから
すぐにわかった。


めっちゃ普通に、建ってる。
めっちゃ普通に、パーキングの中?後ろ?に
建ってる。


やばい。
ほんとに、あったんだ。


右手には、実験校。
左手には、パラダイス。
という別れ道。

どっちが先か?


もうパラダイスの駅も見えていて。
パン屋さんも発見。

極限の空腹だったから
パラダイスの勝ち。

実験校に向かって
「すぐに戻るから、待っててね!」
気持ちの悪い、ひとり言。

パラダイスで
初めてのドイツパンを貪り


パラダイスとの自撮り

完了。


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気を取り直して、
いざ、ゴロゴロ出陣。



<実験校に、やってきた!!!>


戻ってきました。
実験校。


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正面玄関の右側には
ペーターセンの名前
本当にここにいたんだ。


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左側には、ラインの名前。
こいつは、ペーターセンと入れ替わりで
退職した教授。


イエナプランとは対極的な
教育実践をしてたヤツで


退職した後も影響力を持ち
ペーターセンに意地悪してたとか
どうとか。



とにかく写真を撮りまくる。
いろんな角度から、
我が子のように撮りまくる。


正面はこんな顔。


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右顔。

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左顔。

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都合よく
目の前に”ベンチ”があって


じーっとみて
撮る。

じーっとみて
撮る。

その繰り返し。


ちょっと満足できたから
一旦、ホテルへ。


監獄のようなホテルだったけど
実験校の目の前にあったから

私にとっては
オーシャンビューのスイートルーム
みたいなもの。


ちょっと休憩して、
次に目指したのは
Jena Univercity
イエナ大学。



調べてみて、初めて知ったのは
Jena Universityというのは
存在しないということ。


それは通称であって
正式には
Friedrich-schiller-University Jena
フリードリヒ・シラー大学 イエナ


でもこれは後で知ったから
S I Mカードなしでは
結局、見つけられず。


ドイツのWi-Fi環境、
悪すぎ。


続いて、ペーターセンが
教授時代に住んでいた街へ。

ペーターセンの家は
今は、別の人が住んでいるらしい。


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家から実験校まで歩いてみて
「こうやってペーターセンも歩いて通ったのかな」
って考えた。


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そんな頃、
私の足腰は、もう限界で。


帰る場所は、ただ一つ。
実験校前”ベンチ”


やることはさっきと同じ。

じーっと見る。撮る。


昔と今の、実験校を見比べながら
”変わったところを・見つける遊び”
楽しむ。


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実験校は、今、
公民館として使われていると聞いてた。


出入り口は
鍵がかかってそうで
入れないと思ってた。


でも“見つける遊び”を楽しんでいたら
一人の若者が、
鍵も開けずに
さらりと入っていった。


「入れるんだ!」って知る。



ストーカーのよう
若者を追い、
そろーり建物に入って
中を見る。


入り口付近のコピー機を使ってた
若者に声をかけてみた。


「ワタシは日本から来ました。ペーターセンのことを勉強しています。私は、この建物に入ってもイイデスカ?」



そしたら、若者が

「もっちろん!自由だよ!でも、ペーターセンってだれ?



って聞いてきたから
表に連れ出し
看板を指さす。



「この人ダヨ!」

って。


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ともあれ、無事、入館。



もう興奮度マックス。
100年近く経ってるから
リフォームされていると分かっていても
ドキドキした。



もう空気がやばい。
それを吸ってる自分が、さらにやばい。



また写真を撮りまくる。


入ったら最後。
もう出られない。



1階から3階まで。
上がったり、下がったり。


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「ここに泊まりたい」





そんなつぶやきが聞こえたかのように
突然、立派そうなおばさまが声をかけてきた。


ドイツ語だったから何を言われたか
分からなくて


とりあえず、さっきの若者に伝えたことを
同じことを伝えた。



そしたら
「ちょっと待ってて」
と言われて
事務所に入っていく。



「あー怒られるかなぁ」って
思いながら、待つこと1分。



ノートパソコンを持って出てきた彼女は
奥の部屋に通してくれた。


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そして、さらりと言った。
「ここが教室だった、部屋よ」


って。

ここが、教室。

ここが、きょうしつ。

ここが、”あの”キョウシツ。


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なんてこったい。



その後、彼女は、
当時の写真を見せてくれた。



集合写真
サークル対話
ブロックアワー
手作業
畑仕事
などなど


オランダでも見たことない写真が
いっぱい。

子どもたちの作品や計画表
校歌の楽譜

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本当に、やってたんだ。
100年も前から。



結局、そのおばさまは、館長さんで。



私のように
世界中からいろんな人が
この実験校に来訪するとのこと。


手慣れたように
いろんなものを見せてくれた。


来訪者のサイン帳があって
私もサインをした。
職業には、「大日向小学校」と記した。


日本人では2人目だった。
(実際は、6人目らしいけど)


残念ながら、そこにある資料のほとんどが
写真に収めることはできなかったけど
そんなことは、もうどうでもよくなってた。


なんとなく吸い寄せられるようにドイツに来て
実験校の中で、彼女に会えた。



アポもなく
館内に入れて
あの時
あのフロアで
彼女に見つけてもらえる確率
ってどれくらいなんだろう


私、とんでもなくツイてた。

1時間くらい、彼女と話して
最後に写真を撮ってバイバイ。


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またマイホームのような
ベンチに戻って
余韻に浸る。


なかなかホテルに戻れない
重い足を動かして
何度も振り返りながら
ホテルに戻った。

最後は、通りを挟んで
遠くから、パシャリ。

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<ついにココに、やってきた!>

翌日からはオランダに入り、
数日間、友達の家にステイ。

イエナプランスクールをいくつか訪れた。


この旅の
最後にして、最大のイベントは
ペーターセンのお墓参り。



目的地は、Großenwiehe(グロッセンヴィーエ)
ペーターセンの生まれ故郷であり
お墓のある小さな村。


友達の家からおよそ450キロ。
この日のために、とってきた国際免許。


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左ハンドル。
右側通行。
常に140 キロ以上で走行ができちゃう
無料の高速道路


オランダからドイツに入ると
雰囲気が変わった。

ガードレールや
無機質な色。
窮屈な感じだったけど
景色は、日本と似てた。


5時間かけて
無事、村へ到着。


残念ながら、ドイツは大雨。
というより、強い嵐。


村に一つだけある、小さな教会。
オランダの先生たちに
「行けば分かる」と、教えてもらってた。
言葉通り、行けばすぐ分かった。


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車を止めて、
教会の中へ。

意外と多いお墓の数。

あっちも、こっちもお墓だらけ。

ペーターさん”もいっぱいで、まぎらわしい。

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お墓は全部、同じ方を向いていたから
見渡せる場所から探した。



あった


あった



あったよ。
あったよ。


普通にあった。




ペーターセンの死後、
啓蒙活動をしてくれた奥さん。
エルゼも一緒に眠ってた。


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本当にいたんだ
ペーターセン。


周りには、大きくて豪華そうなお墓もある中で
ちょっと質素なペーターセンのお墓。




じーっと見てて
なんか


「普通でよかったな」


って思った。



普通の人だったんね。
ペーターさん。


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自分が作ったものが、
今、世界中に広がってるって
どんな感じだろう。



多くの人が
それに魅了されてること
知ったら、喜ぶのかな。



「俺がつくったイエナプランはこんなんじゃなーい!💢」
って怒ったりしてないかな。


だとしたら、
ごめんね。
って思う。





最後は、ペーターセンが教員時代を過ごした
ハンブルクで一泊して、帰国。



そんなペーターセンをめぐる旅でした。


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