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自らの成長、事業の成長のために、鍛えるべきは、自己に対する客観的な認知力ではなかろうか
誰しも認められたい承認欲求がある。
故に、人は実力以上に自らをよく見せようとしたり、活動を正当化しようとする。失敗を認められず、他責を求め、それで良いと思い込もうとする。自分を見つめ直すことを難しくする強いバイアスの掛かったレンズ、、、メガネが外せない。
これは、案外どこでも見られる風景である。
私も、その一人だ。
しかし、事業をやっていく上では、これが致命傷をもたらすことがある。
その為、真摯に向き合うということが必要とされる。さまざまな訓練を積んで精神性を高め、メガネを外す努力をする。
うまくいってない理由は自分にある。外的環境の変化であったとしても、それを読みきれない自分のせいだと言うように。意思決定までの判断やプロセスを分解し、ひとつひとつ丁寧に反省する。その過程で磁石の同極のように反応し合う感情が生まれるところがある。つまり、現実や事実から目を逸らしたいという誰しもが持っている自然な衝動である。その時、人はしばしば他人や環境に責任を求めてしまうのだ。そこをグッと堪えて、見つめる努力が必要だ。そこから見れる姿が真の根本原因であることが多い。
基本私は、全ての責任やうまくいかないとことは、自らの認識や意思決定のプロセスに問題があると仮説して、考えてきた。その為、気持ちが拒否の反応を示すサインこそが見落とすべきではないインジケーターだと思い、向き合い続けてきた。
所詮自分も人であり、ミスを犯す、感情というより認知バイアスや誘導によって判断が狂う、またはうまく見落としをレビューすることができないこともある。
改善は、反省の過程から自らの過ちを見つけるところから始まる。
随分長い年月、この判断ができるように心身ともに努力してきた。
結果どのような姿が見えたかというと、、、、
自らの失敗を認め、素直に謝れるようになった。
自らの非力さを認め、仲間に協力を仰ぐことができるようになった。
仲間の偉大さや優れた点を、本人を目の前にして褒められるようになった。
自らの小ささを理解し、謙虚になることができるようになった。
人と自らを比べることがなくなり、
人に対して憤ることがなくなり、
怒りとは無縁の生活となった。
心から感謝ができるようになった。
まだこれが事業の成果につながったとは言い難いが、
少なくとも、随分心は楽になったのではないだろうか。
引き続きこれを検証していきたい。
社会を見ていると、多くの揉め事は自らの主張と差異によるものに見える。しかし、他人に精神性を共有したり理解させたりすることはほぼできない。
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