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群盲象を評す 地熱探査の難しさ

群盲ぐんもう象を評す』は、数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う、というインド発祥の寓話で世界に広く広まっています。この寓話は、長い年月を経てその意味は国あるいは地域ごとで異なっていますが、おおむね”真実の多面性や誤謬に対する教訓”となっています。同じ意味を持つ諺ですが、”盲人が象を語る”、”群盲象をなでる(群盲撫象)”などとも呼ばれています。この諺のもとになる話は以下の通りです。

昔、ある国の王様が、盲人たちに象を撫ぜさせてみて、自分が感じ取った象の形状を、それぞれ発表させました。すると、象の脚を撫でた盲人は、「象とは柱のような形をしたものだ」と言い、象の耳を撫でた盲人は、「象とは大きな団扇のようなものだ」と言い、象の尾を捜った盲人は「蛇のようなものだ」と言い、脇腹を撫でた盲人は「壁のようなものだ」と言った、ということです。

http://www.ishii-miraikan.com/kanjikyouiku/contents/15_52_02_05.pdfから一部を抜粋

『群盲象を評す』の意味としては、断片的な情報で全てを理解したと間違った考えを持ってしまう、ということです。つまりこの諺は、物事は偏った一部の情報のみで判断するべきでない、といった教訓になっています。同じような意味の諺に、『木を見て森を見ず』というのもあります。

地熱の探査にも同じような教訓が当てはまります。地熱流体(地熱水や地熱蒸気)が貯まっている地熱貯留層は、諺の中の象だと考えることもできます。地熱貯留層という象には、以下のような特徴があります。①地熱貯留層は断層周辺に発達している、②地熱貯留層の上部には不透水性の地層(キャップロック)が存在する、③地熱貯留層の深部には熱源が存在する、等です。他にも様々な特徴がありますが、少なくともこれらの3つの条件をクリアする必要があります。

しかし、このことがよく理解できていない人たちが地熱の探査をすると、多くの場合失敗します。それは、地熱貯留層という”象”の全体的な特徴を理解していないためです。たった一つの条件だけが当て嵌まっているからといって、それが”象”だとは限りません。そんなところに、見えない地下を探す難しさがあります。

象や森林などの自然のものが相手だと、教訓としての『群盲象を評す』が活きてきますが、人工物については、少し話が違うようです。『神は細部に宿る』という有名な言葉があります。この言葉は、元々はドイツの美術家や建築家から生まれた言葉だそうです。これは細部(ディテール)にこだわった丁寧な作品には作者の強い思いが込められており、まるで神が命を宿したかのような不朽の名作として生き続ける、と言うような意味なのだそうです。

全体に拘るか、細部に拘るか、それが問題だ!。

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