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つらい思い出ほど忘れられない。

 人生には良いことばかりは起きません。時には悪いことも起きます。しかし、嫌なことがあっても、それはその時かぎり、その場かぎりの出来事です。なので、過去に執着せずに行きましょう、と言われても修業を積んだ禅僧でもない限り、そう簡単には割り切れません。

 つらい思い出も、「あの時は、きつかった」と微笑ましく思い出せるものと、思い出しただけで胸がギューと締め付けられるものがあります。場合によっては頭がクラクラしたり、気持ち悪くなることさえあります。この違いはどこから来るのでしょうか?。

 心理学的なことはよくわかりませんが、集団で経験したつらい思い出は、思い返すと好印象に変わりますが、孤独な時に感じたつらい思い出はつらいままです。例えば、高校時代の部活の猛練習などは時間が経てば良い思い出に変わりますが、彼女に振られた思い出は良い思い出に変わることはありません。つまり、この感情の違いには、孤独感と無力感が大きく影響しています。

 つらい思い出は、楽しい思い出と比べると、記憶に残りやすい気がします。これはネガティブな感情のインパクト(重み)が、ポジティブのインパクトより大きいからかもしれません。私は若い頃に、探査装置を抱えて、山中で探査したことが何度もあります。重い荷物を持って、道なき道を進む調査の大変さは、並大抵ではありませんでした。しかし、複数人数で実施した探査の思い出は、その時はきつくても、あとで良い思い出に変わるようです。これも、思い出の共有があるためだと思います。「あの時はきつかったよなぁ」と言って、「そうだそうだ」と言ってもらえる”思い出の共有”があれば、つらい思い出も良い思い出に変換可能です。

 現在、小型MT探査装置の開発を行なっていますが、この発想の原点になったのは”MT法のコイルを担いで山中を歩き回ったつらい経験”です。MT法のインダクションコイルは1本でも7~10kgはありますから、これを持ち運びながらの山中行軍は重労働です。このプロジェクトでは3本のインダクションコイル(21~30kg)を数十グラムの重さにしようと計画しています。これだけでも作業性は大きく向上します。

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