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私の記憶の中の『日本航空123便墜落事故』

37年前の昨日が、あの日航機墜落事故が起きた日でした。事故から40年近く経っていますから、アラフィフ以上の年齢でないとリアルタイムの記憶は無いでしょう。毎年この時期には、テレビやニュースで取り上げられるので、航空機の墜落事故があったことくらいは若い人でも知っているかもしれませんが・・・。

『日本航空123便墜落事故』は、1985年8月12日(月曜日)、日本航空123便(ボーイング747SR-100型機;いわゆるジャンボジェット機)が群馬県多野郡上野村の山中ヘ墜落した航空事故です。乗客乗員524人のうち死亡者数は520人、生存者は4人でした。墜落の直接の原因は、圧力隔壁の破損に起因する垂直尾翼の脱落(空中分解)と全油圧系統喪失による操縦不能だと考えられています。

私は関係者でもありませんし、その当時、飛行機に乗ったことすらありませんでした。しかし、その日のことは鮮明に覚えています。その前日の日曜日まで、長崎の雲仙付近で電気探査のアルバイトをしていました。夏休み期間ということもあり、小浜温泉に泊まり込みで、シュランベルジャー法の電気探査の野外調査の手伝いをしていました。山中での作業で、とても暑かったことや、測線の途中に毛虫が大量発生していたことをよく覚えています。事故の当日は、アルバイトが終わって雲仙から自宅のある福岡に戻り、それから実家まで帰省することにしていました。

バイト代が入って懐は潤っていましたが、長崎から福岡、さらには実家までと電車に乗りっぱなしだったので、その日はテレビや新聞などを全く見ていませんでした。今みたいに、インターネットやWifiもなく、スマホやタブレット端末なども存在しませんから、大きな事故や事件が起こっても、すぐに知ることはできませんでした。

雲仙から福岡に戻り、慌ただしく帰省の準備をして、実家に帰ろうとした頃には夕方になっていました。帰省時はいつも特急自由席で帰っていましたが、その時はバイト代が入っていたこともあり、はじめて指定席を買いました。博多駅から列車に乗ると、私の席の隣にはその当時の私と同年代くらいにみえる若い女性が座っていました。ちょっとだけ心の中で「ラッキー!」と思いましたが、もちろん話しかける勇気はありませんでした。

長い間、無言のまま同席してましたが、何かのキッカケで女性の方から声をかけられました。ひょっとして逆ナン?という思いが頭をかすめましたが、陰キャ・ボッチである私にそんな奇蹟は起きません。その女性が話しかけてきたのは「大きな飛行機事故がありましたね?」という、同意を求めるような内容でした。私は事故のことは全く知らなかったので、「・・・」と固まっていると、「大きな墜落事故があったみたいですよ」と教えてくれました。

その事故こそ、『日本航空123便墜落事故』だったのです。その話をきっかけにして少しだけ会話しましたが、程なくして私が降車する駅に着いたので、そこで会話は終わりとなりました。その後、実家に辿りついてテレビを見ると、どのチャンネルもこの墜落事故の報道で騒然としていました。たしか、墜落前までの飛行機はフラフラ飛んでいたので、そのような飛行を表わす”ダッチロール”という言葉が流行りました。

生存者は4名ということですが、当時クローズアップされた女子中学生と非番の客室乗務員さんの印象が強かったので、最近まで生存者は2名だと思っていました。人間の記憶は曖昧です。


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