アルバム「自分史のなかのビートルズ」(A面)
Note自体がそうなのだが、この企画は私家本制作のようで自分の過去の記憶を呼び起こしてくれ、悩みながらも楽しく書いた。
お誘いいただいた瞬那さんに感謝します。
A面は札幌の小学校6年生~中学~高校卒業の頃までに聴いた曲を並べてみた。
選曲は公式リリース216曲を対象、アルバム構成は一般的に全14曲なので片面7曲ずつ選出。私は「自分の思い出のなかで自分に響いた歌」という基準でなんとか自分史の順で並べた。
私のビートルズ事始めはアルバム「Let It Be」で、その後デビュー・アルバム「Please Please Me」からリリース順に聴いたのでその順に並んでいる。
こうして見ると、初期は入らず、中期にポールのメロディ、後期はジョンの思索に重きを置いたものになった。
A面(11歳~17歳) ※ゴシックはジョン作曲
1.Let It Be
2.Two Of Us
3.Help
4.Michelle
5.Here,There And Everywhere
6.A Day In The Life
7.Strawberry Fields Forever
B面(18歳、19歳)
8.Hello, Goodbye
9.While My Guitar Gently Weeps
10. Yer Blues
11. Because
12. I Want You
13. Free As A Bird(36歳)
14. Now And Then(64歳)
年譜を兼ねた私なりの受け止めを以下に書き留めておく。
A面(11歳~17歳)
1.Let It Be(11歳、Let It Be) ※( )内は聴いた時の年齢、アルバム名
1970年、私(1959年生)が札幌の小学6年生、11歳の時。
テレビから流れた映画Let It BeのCM映像(東芝)と、その時のピアノの音や家族5人で夜のリビングに座って見ていた景色が蘇る。初めて聴いたこのピアノの音色が思春期の私の中にスッと入り込んだ。
そして、ビートルズへの扉が開いた。
今は、ポールの亡き母が夢枕で囁いた曲で、ポールがビートルズ解散の危機回避、自分への癒しとした歌として聴く。
2.Two Of Us(12歳、Let It Be)
中学1年、12歳の時に初めてLPアルバム(2,500円)を買って聴いたアルバム出だしの歌。
フジテレビのTV番組「青い山脈」が何故か結びつき、アコギとハモリが絶妙で青春賛歌として聴いていた。
この頃、中学校の休み時間の教室でイマジンの「Living for today, ah~」のahの声に魅せられて、アルバム「ジョンの魂」を買って聴く。
今では、ポールがジョンとの歩みを懐古する歌として聴く。
ちなみに13歳の時、自分のお小遣いで初めて2本立て映画ダーティーハリー/時計仕掛けのオレンジを観て、映画にもはまり始めた。
3.Help(15歳、Help)
1976年、高校3年の時の京都・奈良・東京への修学旅行の時、宿泊先のホテルで聴いた思い出が蘇る。
JetやHi,Hi,Hiなどと一緒にノリノリの曲を友人が集めたカセットテープだった。
「地に足を戻してくれ」の意味を知ろうとせず呑気に口ずさんでいた。
この頃観た4人の元気すぎる姿、映画Helpが一番好きだった。
今では当時のファンもほとんど気づかなかった、ジョンが苦痛を訴えていた歌として、少しだけ重い気持ちで聴く。
この頃、遠藤周作氏や星新一氏の本が好きだった。
4.Michelle(16歳、Rubber Soul)
ジャケットの濃い緑と歪んだ4人の顔、全編に流れるフォーク・ロック調の曲に大人の匂いを感じた。
この頃初めて買った安いギターでタブ譜を見ながら、フランス語も分からないまま弾き語りに奮闘し、この曲でディミニッシュとクリシェという言葉を知った。
今も当時の思い出と変わらず、ポールのフランスへの憧れと切ない恋心を歌った曲として聴く。
5.Here,There And Everywhere(16歳、Revolver)
本当の優しさが心からこみあげる歌。
澄んだメロディー、バックコーラス、感性きらめく歌詞、ジョージの柔らかいギターの音色、最後のフィンガー・スナップに陥落された歌。
Michelle同様にヨーロッパへの哀愁と憧れさえ感じた。
今ではジョンが好きな歌というだけで、以前より好きになった歌。
ジョンが自分で「作らなくてよかった」と言ったYesterdayよりも癒される。
6.A Day In The Life(17歳、Sergent Paper‘s)
Strawberry Fields Forever、Motherを聴いた時と同じような不安を感じながらも、初めて芸術ロックを聴いた。
ビートルズの曲を聴く姿勢の転換点になった歌。
英単語が分かっても、4,000の穴(hole)とロイヤル・アルバート・ホール(hall)の関係、日常的なことと共にある「何か」が分からなかった。意味は分からずじまいで、終わった後の不気味な言葉の意味にも混乱した思い出がある歌。
今では、私なりに解釈(言語化)して聴いているが、今後また聴き方が変わるかもしれない。
1番は交通事故死(ギネスビール御曹司21歳の友人の死)、2番は戦死(ジョンは映画「僕の戦争」で戦死)、3番も死(墓穴)について夢うつつで歌っている。
1番、2番は分かりやすいが、3番の歌詞が分かりずらく無意味と不条理の象徴とも捉えられるが、私はむしろ死と解する。ポールが歌うミドル・セクションは、何気ない日常の生を現わしている。
They know how many holes it takes fill the Albert Hall:「ランカシャーで4,000の穴が見つかった。そして、アルバート・ホールを埋め尽くすのに幾つの穴が必要かが分かった。」に書かれた穴は墓穴だった。
holeは、道路の陥没した大きな穴ではなく少し小さい、すなわち墓穴。
ジョンが読んだ新聞記事には26人を埋めるのに1つの穴が必要と記載されていたので、当時のランカシャー州ブラックバーン市の人口10万人を埋めるのに必要な穴の数が4,000となる。
そして、holeとhallの語呂からアルバートホールの最大収容席数8,000人分を埋めるにはそれなりの墓穴が必要、とジョンは連想した。
生と死は隣り合わせだが、人は常に死を考えて生きているわけではない。
しかし、ジョンはこの頃身近に感じた、日常的なことと共にある死の恐怖を歌にした。
オーケストラによる音階の上昇とともに、死がジョンに近づいてくるが、ジョージ・マーティンとマル・エバンスも加わり、ピアノで終結感あるEメジャーを立ったまま叩き、墓穴に蓋をする。
しかし、ジョンはその後に、I never could see any other way:「他の方法は全く分からなかった」と、これ以上「死」を歌にすることはできないと残し、曲をいったん終えた。
そして曲の後は、レコードに溝を掘りエンドレスでアームが元の位置に戻らない、つまり終わらない=蓋をしたのだからもう死を迎えない、という仕掛けをしている。
これはレコード世代にしか体験できないが、これがこの歌の最後だ。(犬にしか聴こえない音はゴーストの声かもしれない。)
今では、チーム・ビートルズの型破りで革新的で、真摯な音作りの姿勢に敬服しながら聴き、口ずさむことはない歌。
7.Strawberry Fields Forever (17歳、Magical Mystery Tour )
シングルではなく、1967年リリースのアルバム「Magical Mystery Tour」で聴いた。
ジョンの気だるい歌唱法を含め不気味さが漂い、ビートルズの曲で最初に恐怖さえ感じて正直不安になる曲だった。
ペニー・レインとは対照的に「分かりにくい曲」に分類し、心に引っかかっていた曲。
今では、「俺をひとりにしてくれ」と外界からの侵入を拒むような、ジョンにとっては神聖な心の拠り所を曲とした歌として聴く。
この7月に初渡英からの帰国後にあらためて聴き直し、ジョンの魂に触れることができた。
(B面に続く)