Hideki

2024年7月に長年の夢だったリバプール、ロンドンの聖地巡礼の旅を終えました。彼らと同…

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2024年7月に長年の夢だったリバプール、ロンドンの聖地巡礼の旅を終えました。彼らと同じ地に足をつけ、同じ息吹を感じ、体にビートルズが沁みわたりました。旅で見えたものは「愛こそはすべて」でした。普段は東京で気功の指導をしています。

最近の記事

Now and Thenは問い続ける

ビートルズの解散は必然だったのか、そうではなかったのか。 必然だったとする映画監督のマイケル・リンゼイ・ホッグ。そうではない、避けることが出来た筈だと解散させまいとする同志ピーター・ジャクソン。 歴史上、事実として解散はしたが、まだ解散していない。 何故そんな不思議なことが起きるのか。 忘れられるバンドではなく、忘れられず、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンが亡くなっても、復活してしまうバンド。それは、私たちが忘れてはいけないとしているからだ。   1969年のルーフトップ

    • ビートルズとの旅を終えて  Fab4 in my life

      ポールにとって、ビートルズは人生であり仕事であり、その仕事が大好きだったが、ジョンは仕事が嫌いで個人活動のほうが面白くなってきた。 4人はそれぞれが後戻りできない状況を作り出し、自らを袋小路に追いつめていった。解散は避けられなかったと今は思う。 解散に至るビートルズへのオマージュは以下に記した。 ボーイズは成長し大人になった リバプールで生まれたボーイズは、15歳~17歳の時から兄弟のような絆を保ち楽しく過ごしてきたが、解散時は既に27歳~29歳の大人になっていた。 生活を

      • ビートルズが終わる(2) 1969年6月~アビー・ロードまで

        1969年5月、亀裂を生んだ自分たちのマネジメント、信義を破ったソング・ライティングの危機を迎え、その後解散が秒読みとなる。 時計のネジを巻き直して時間を戻すため、7月からのアビー・ロード制作では、お互いが提示する曲のレコーディングによる化学反応に望みをかける。 4人は6月の休暇を経て、7月と8月にアビー・ロードスタジオの予約を入れ、前回のグリン・ジョンズではなくジョージ・マーティンに再びアルバムのプロデュースを依頼する。この時、ジョージ・マーティンは、無理難題を持ち込まな

        • ビートルズが終わる(1) 1968年~1969年5月

          ここ数年、「ビートルズは永遠に不滅です」と言えるような現象が続いている。 永遠に続くものは無いのに復活を繰り返す。私たちが本当にそう願うから、これからも・・・ 物事には必ず始まりと終わりがある。永遠に続くものは無いと言っても良いのに、ビートルズは不思議なことに、解散してからもオバケのように復活を繰り返す。この世という異世界に再結成したかのような錯覚さえ感じる。 2022年、映画Get Backで眠っていた彼らの姿が蘇えるとともに、昨年Now and Thenが見事な曲となり

        Now and Thenは問い続ける

          ストロベリー・フィールズ・フォーエバーとペニー・レイン

          ふたりが愛情を込めて故郷への想いを形にした。新境地にいたる幕開けにふさわしい曲だ。この地に足を踏み入れた時の想いをとどめておく。 この7月に敢行した聖地巡礼の興奮冷めやらず、聖地を訪問した者が罹患する後遺症が進んでおり、完治には再訪しかないといわれている。 東京での処方箋として、イギリスからの帰国後にストロベリー・フィールズ・フォーエバー(以下ストロベリー)とペニー・レインを聴き直した。 私は後追い世代なので最初にこの2曲を聴いたのは、高校生の頃だと思う。ペニー・レインは

          ストロベリー・フィールズ・フォーエバーとペニー・レイン

          ジョンの魂を探す~ビートルズのリバプール、ロンドン~

          退職を機に2024年7月3日~9日初渡英、聖地巡礼の一人ぶらり旅に出た。旅で見えたものは「愛こそはすべて」に収斂。帰国後に風景を想い聴いた曲が体に沁みた。 「愛こそがすべて」、この旅を通じて見えたジョン・レノンとポール・マッカートニーの結論だった。 二人が出会った1957年7月6日から1969年9月20日のジョンの発言による実質的なパートナーシップの解散に至るまでの12年間、長い曲がりくねった道のりが終わるころに見えたもの。 結論は普通のように聞こえるが、そこに至るまで二人

          ジョンの魂を探す~ビートルズのリバプール、ロンドン~