マガジンのカバー画像

哲学

152
運営しているクリエイター

2020年10月の記事一覧

現在のイスラエル人はモーゼの言葉を守っているのだろうか

モーゼの言葉には、「寄留者を虐待したり、圧迫してはならない。あなたたちはエジプトで寄留者だったからである」というのがある。
では、現在のイスラエルはどうか?
パレスチナ人という寄留者を虐待したり、圧迫しているではないか。さらに言えば、ユダヤ人は、ナチスドイツでは、アウシュビッツに入れられ、寄留者どころの話ではない。
そして、ユダヤ人は、ヨーロッパでは、放浪の民と呼ばれ、寄留者のような存在だったのだ

もっとみる

ため息をつく人間の多くは幸せではないから、逃げていく幸せがないから、ため息をつくと幸せが逃げる、という迷信をため息をつく人間へ諭しても意味がない

ため息をつくと幸せが逃げていく、という諺だか、迷信だか、わけがわからない日本語があるが、幸せでない人間がため息をついたところで、逃げていく幸せがその人間には無いではないか。
そして、ため息をつく人間の多くは、幸せではない人間である。だから、ため息をついた人間へ幸せが逃げる、と諭したところで意味はない。

パウロが書いた手紙の様々からキリスト教が、国家へ包摂されていく過程がみえてくる

聖書を読めば、わかるが、イエス・キリストそのものは、女性を下に見る、というようなことはいっていないが、最後の晩餐だけは、12使徒の男たちとだけで食事をしている。イエス・キリストは積極的に女性信者を増やすために、女性の病気を癒したりしている。そして、夫に尽くせ、と余計なことはいわない。イエス・キリストは、「あなたの信仰は本物だ」と苦しむ女性へ言葉を与える。
だが、生前、イエス・キリストに出会わず、1

もっとみる

哲学はいくら、生半可でも学んだ方が良い、なぜなら、哲学に免疫ができるから

柄谷行人は哲学を学ぶと、哲学に免疫ができるから、学んだ方が良い、といっている。ただ、哲学といっても、様々に、カテゴリーが分化しているから、論理哲学からデカルト以降の近代哲学、または、西田幾多郎の京都学派など、分化している。生半可にやるより、むしろ、哲学や禅に入り込んだ人の方が、哲学の先生が、まるで、三木清のように満州侵略に意味づけをしたら、その学徒は戦争を肯定する。つまり、哲学を生半可にやるとかや

もっとみる

中曽根国葬をドローンで上から機関銃乱射して自民党と天皇が死んだら笑える

中曽根の葬儀場へ安倍の人形をタンクローリーで踏みつぶしたTokyo Democracy Crewが、普段、勇ましいことを言っているから、それこそ、タンクローリーで突っ込むとか、葬儀場の上からドローンで機関銃で乱射するとか、やればいいのに。自民党員の一人や二人、死んだところで、世間は喝采するだけだし、それが、菅義偉や安倍晋三、自民党員ではないが、天皇なら尚更、攻撃率高いから、逆に自衛隊からスカウトさ

もっとみる

近代思想が身についた常識人はシュタイナーを馬鹿にしている、なーにが、シュタイナー教育だ?アホか

基本的に近代思想の人はシュタイナーなんかアホ扱いにしていますよ。
カントが、同時代のスヴェンデンボルグを徹底批判したことと同じです。 
日本人は、シュタイナー教育とか、アホですよね。大日本帝国の軍国主義を精算できなかったから管理教育へ変身し、それに対し、「オルタナティブ」として、シュタイナー教育だとか、持ち込んでも意味はない。
だったら、ジョン・デューイを持ち込んだ方が何百倍もましだ。

喧嘩もできない梶田「無能」会長へは、日本学術会議の会長職から辞退してもらうことを、我々、主権者である日本人民は要求する権利がある

任命拒否ということは、ビジネスとしても許されない。
1983年、自民党のバカ首相である中曽根が推薦制にした。悪事の大宰相・中曽根は、当時は、野党が、現在より強いから、中曽根はネコ被りをして、推薦制にするが、総理は形式的任命である、と国会で言明した。
ということは、立法府である国会で悪事の大宰相・中曽根がそのように言ったことは、法的効力を有する。また、推薦者と政府の契約をその中曽根答弁は意味している

もっとみる

ルドルフ・シュタイナーは前近代を渇望したアホなスピリチュアル思想家でしかない

日本で最も誤解されている人物が、ルドルフ・シュタイナーである。
日本人の習い性なのか、体質なのか、都合よく切り貼りして、「シュタイナー教育」だとか、まるで良いものであるかのように、喧伝されているが、ルドルフ・シュタイナーは、人智学の思想家であり、同時代の近代思想家のヴァルター・ベンヤミンは、シュタイナーを前近代への渇望でしかないと軽蔑していた。
つまり、そんなスピリチュアル思想家がルドルフ・シュタ

もっとみる

公選制だった日本学術会議を推薦制にし、首相は形式的任命しかしないという見解を示したのは自民党ではないか

日本学術会議は、元々は、公選制だった。
それを1983年、推薦制へと、自民党が変えた。当時は、中曽根が首相で、その推薦制にした動機を、学問の自由がなお守られる、と述べ、推薦人が推薦した学者を首相は形式的任命するだけである、と答弁している。
政府自民党が公選制から推薦制にし、形式的任命をする、と見解を示したのだから、菅義偉は、スジを通してもらいたい。
その菅義偉が、中曽根の葬儀を公費である9400万

もっとみる

総理が日本学術会議の学者を任命拒否してよいなら、天皇も総理を任命拒否してよいではないか

菅義偉による日本学術会議の論点は、実は学問の自由の侵害ではない。
それは、1983年、国会で中曽根元総理が、日本学術会議は推薦された学者を総理は形式的任命する、と答弁した。中曽根元総理は、そのことで学問の自由が守られる、と答弁している。菅義偉の任命拒否問題の論点は国会にて決められた規則を遵守しないことにあることと形式的答弁を無視することは、天皇が総理を任命するときも形式的答弁である。もし、形式的答

もっとみる