哲学はいくら、生半可でも学んだ方が良い、なぜなら、哲学に免疫ができるから

柄谷行人は哲学を学ぶと、哲学に免疫ができるから、学んだ方が良い、といっている。ただ、哲学といっても、様々に、カテゴリーが分化しているから、論理哲学からデカルト以降の近代哲学、または、西田幾多郎の京都学派など、分化している。生半可にやるより、むしろ、哲学や禅に入り込んだ人の方が、哲学の先生が、まるで、三木清のように満州侵略に意味づけをしたら、その学徒は戦争を肯定する。つまり、哲学を生半可にやるとかやらないとか、修行の観点ではなく、大事なことはリベラルアーツの視点である。
支配者は、支配する論理を哲学風に、語りたがる。掃除の哲学とか。素手でトイレを掃除すれば幸せになる、とか、哲学風に語る。
だが、哲学を少しかじると、その考えは、哲学のどこから由来しているのか。そうか、スピリチュアルか。だったら、否定する、と。
頭で整理できるようになれる。

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