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【教職救世塾だより1-2】「教師とは何か」


「教師とは何か」
これはいわば、自分自身の存在意義を定義することとなりますね。

職務の根幹でありながら、ふだんはあまり考えないテーマなのでは。
皆様がご自身なりの定義を構築されますことを願っております。


専門的な資格で人々の救済に当たる職業を、一般に「士業」と呼びます。
弁護士・司法書士・行政書士・税理士・公認会計士・社会保険労務士など。
ここで疑問が生まれます。

「なぜ先生は『教士』ではなく『教師』なのか?」
今回はこの疑問を起点として思索を進めていきます。


「教員免許状を取得すれば、一人前の教師と呼べるのか?」
教職時代、何度もこの疑問に突き当たったことがありました。

およそ『教師』とは呼びたくない低劣な同僚がいた背景もあります。
また、能力の限界を感じるたびに自己不信へと陥った経緯もあります。
さまざまな事情から、このような考察を深めてきました。

「教師とは何をする生き物なのか、どうあるべきなのか」


いろいろな表現が考えられると思います。
・学校で授業をする人
・学校で生活指導をする人
・学校で進路指導をする人
・学校で部活動顧問をする人
・学校で傾聴してくれる人

このようにいくつもの表現が当てはまります。
すべて事実ではありますが、しかし、本質を突く言葉ではありません。

私なりに長い間(かれこれ30年くらい)考え続けていましたが・・・
この言葉が一番近いように思っています。

「子どもたちの伝道師であり、サポーターであり、守護者である」

さらに一言で要約すると、「メンター」という言葉になるでしょうか。
もしそうであれば・・・
我々には一定の社会観・道徳観に基づく矜持が必要ですね。
「教師逮捕」の報道を見ると嫌悪感を覚えるのは、そのためなのでしょう。


先ほどの定義に照らすなら・・・
私たちに求められるのは、単なる知的業務だけではないはずです。
生き方や働き方そのものを通して、子どもたちを善導する役目と考えます。

言い換えれば「生き方の、生きたお手本」となることが肝要と思います。
自己に内在する善を信じて子どもたちに接し、信頼を得る努力が不可欠。

現実的に日本の学校を俯瞰すれば、その面では心配な要素もあります。
ドメスティックな感覚にとらわれて社会・世相の動きが見えていない・・・
そんな心配がぬぐえないように感じます。

「学校のなかで完結する仕事はない」
この考え方が私の教師観の根底にあります。

教え子が社会に出て、社会をよりよく変えるように活躍してくれること。
また、結婚後は未来の日本を救ってくれる子どもを育ててくれること。
こうした生き方のできる人材を育むことが教師の仕事だと考えています。


「子どもたちの伝道師であり、サポーターであり、守護者である」

メンターとしてのあり方を考える時、どんな生き方を選択すべきなのか。
難しいテーマではありますが、取り組み甲斐のある仕事だと言えますね。

「私たちの仕事の答えは20年後にある」

教職時代、私がよく部下に語っていた言葉です。
教え子が社会でどんな活躍をし、どんな子育てを展開してくれるか。
ここにこそ我々の未来の楽しみがあるし、生き甲斐もあるのだと。

「目先の成果を追うことなく、真に教え子たちの人生に資する教育を施す」
そう考え始めた時から、業務のつらさに耐えられるようになりました。

教師は目先の点数や進学実績、大会の成果のために働いているのではない。
未来のニッポンを作る「縁の下の力持ち」の仕事をしているのだ、と。

本日もご購読ありがとうございました。
先生方が自信を持って人材輩出できるよう、支援を強化してまいります。


☆『教職救世塾』シラバス
https://www.nfeti.com/%E6%95%99%E8%81%B7%E6%95%91%E4%B8%96%E5%A1%BE/


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