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私がサッカー選手から芸人になるまで【第一話】~近所のあんな姉ちゃん~

こんばんわ。 

よく鼻に汗をかいちゃうねん。でお馴染みHIDEKAです。

今日は、なぜ自分が13年間続けたサッカーを辞めたあと

お笑い芸人の道に進もうとおもったのかを書きたいと思います。

【第一話】~近所のあんな姉ちゃん~

今でも、この人と出会ってなかったら・・・ってぐらい感謝してるのが

近所のあんな姉ちゃん。(おかんの同級生の娘)

当時、ひでかは小4ぐらいであんな姉ちゃんが高校生やったんかな?

そのとき、あんな姉ちゃんは、baseよしもとの芸人さん

(特に陣内智則さん)のおっかけをしていた。

世間も、漫才・お笑いブームで毎日テレビ・雑誌などどこにでも

吉本の芸人さんがあふれていた。

小学生のひでかは、そのあんな姉ちゃんの家に毎日遊びにいっては

「?マジっすか!」や「べえぇす!」や「吉本超合金」とか

小学生の女の子が普段みない番組を見ていた。

その頃といえば、「WEST SIDE」という(キングコングさん・ロザンさん・ランディーズさんの3組からなるいわゆるアイドルユニット)の

曲も聴いてたし、土日は絶対に「漫才LOVERS」と「ZAIMAN」を録画して

何度も何度もみて、自分も漫才にハマッていった。

お笑いポポロやマンスリー吉本などの雑誌も毎月愛読していた。

小学生の周りの友達が「モー娘。」とか「たまごっち」の話題で溢れてる中

私のあたまの中は、

「今年のよしもと男前ランキング誰が1位なるんやろ~」

「サマースマイルはよ見たいな~」とか

誰にしゃべっても分からんようなお笑いのことばかり考えてた。

ジャニーズよりも、キングコングの梶原さんが1番男前と信じてたし

オールザッツ漫才みて、自分もあそこ(ひな壇)に立ちたいと思って

目をこすりながら、遅くまでがんばって見てた。

今でも覚えてるのが、小学生の頃、道徳の授業でよく配られる

心のノートやったけ?あれの将来の夢の欄に

将来、中川家さんのような芸人になる」って

書いたのは覚えてる。

(小学生で中川家さんはしぶすぎるわ)

まぁ、そんな感じで小学生の頃、近所のあんな姉ちゃんのおかげで

漫才・お笑いを知り、自分から自然と好きになった。

なので

芸人なりたいと思った原点は、

小学生の頃の環境=あんな姉ちゃんのおかげである。

この、純粋にお笑いが好き・小学生なりに夢中になったお笑い番組など

この「理由なき好き」という気持ちを今でも大切にしていこう。

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でも、この頃の自分がまさか何十年後に

NSC大阪(吉本のお笑い養成所)に入り

芸人になるという夢を叶えてるなんて・・。


(次回予告)

私がサッカー選手から芸人になるまで

【第二話】~サッカーとの出会い~

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次回もお楽しみに!ゲームセット!!

PS. SNSもよろしくお願い致します。
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吉本興業所属  (NSC大阪42期 )
コンビ名:スターティングメンバー
(左)ひでか(サッカー全米大会優勝) 
(右)さとゆり(春高バレー準優勝)
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