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【承認欲求について】

こんばんは。今回は「承認欲求」について、僕の中にある一部の考えを吐き出したいと思います。

※今日の日中にやったスタエフのLIVEからヒントをいただきました。参加してくださった皆さん、ありがとうございます!


▷承認欲求とは?

めちゃくちゃ簡単に言えば、「他者から認められたい」という欲求だと考えています。

さて、ここを軸にして考えた時に、「他者」とは何か、そして「認められる」とは一体なんなのか?


ここを明らかにしていくことで、「承認欲求」というものをハッキリとさせていくことができるんじゃないかなと。

ということで、ここから深掘りしていきます。


▷他者とは?

他者というのは、文字通り「自分以外の全員」のことです。ただ、こと「承認欲求」においては、もう少し複雑な前提がくっついていることがあります。


僕が思うに、「他者」から認められたいと思っている気持ちの裏側には、「その他者は自分の価値観と同じである」という前提があるんです。

つまり、「自分と他者は同じ価値観を持っていて、その他者に認めてもらえることが嬉しい」ということです。


このように書くと、「いやいやそんなことは思っていない」という反論もあると思いますが、実は自分の無意識化において、この前提があるケースが多いと考えます。


例えば、「あなたって性格悪いよね」と言われた時に、イラっとするのであれば、他者と自分の解離が出来ていないということになります。

もし仮に、「他者と自分の価値観は違う」という前提のもの生きている人であれば、「性格悪い」と言われても、「あ、そういう風に考える人もいるんだ」ということで終わるわけです。


とまぁ自分もこんな偉そうに書いていますが、僕もその状況になったら「イラッ」としちゃうと思いますね(笑)


▷認められるとは?

承認欲求における「認められる」というのも、とある前提がくっついているケースが多いです。

それは、「自分が認めて欲しいところを認められたい」ということです。


例えば、「自分は統率力がある」と思っている(または思い込んでいる)時に、「あなたは統率力があってすごいね」と言われると素直に喜びます。

しかし一方で、「あなたは縁の下の力持ち的存在ですね」とか言われると、「え?いや僕はそういうんじゃなくて、リーダー的存在なんだけど、、、」って困惑しちゃいます。


つまり、「自分のここを褒めて!良いって言って!」と思っているので、そことズレた時には、承認欲求は満たせないことになるんです。

僕は、これが「承認欲求における認められる」ということの本質だと考えています。

※自分ではイケメンと思っていないのに、「イケメンですね」と言われて喜ぶというパターンもありますが、それは「自分ではダメだと思っているとこと」なので、嬉しい気持ちになるというケースもあります。これについてはわりと簡単な構造なので今回は省きます。


▷おわりに

最後までお読みいただきありがとうございました!

今回の記事は僕が主催している「ことばの定義を考えよう」という企画に沿ったものです。


今月末まで開催しています!

参加条件は、「記事を書いて僕に知らせるだけ」でーす!スタエフやツイッターでも記事をご紹介いたします!


お気軽にご参加ください(^^)


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