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日々、深く考え続ける。
前回の『生きている対話、死んでいる対話』という記事に引き続き、僕の人生のテーマについてのお話。
〈考えること〉
考えるということは、僕にとって生きることであり、幸せに直結することである。
そもそも考えるとは何か。それは「懐疑的精神」を持つことであり、自分の「好奇心」を深く探求していくことである。
この意味において、考えることは創造的で、楽しいものだ。
僕にとっては「遊んでいる」という感覚に近い。
例えば、僕は子供の頃、泥団子をどれくらい輝かせられるかに熱中していたことがある。
それは、自分の好奇心の探求であり、創造であった。
泥団子を磨いて光らせていくように、僕は「考える」を磨いて、奥底の方まで深めていきたいのだ。
〈深く考えるとは〉
深く考えるとはなにか。
ひとことで言えば、「自分の核からえぐり出す」ということ。
冷凍庫から出したばかりのハーゲンダッツはかちこちだが、外側を手で温めると柔らかくなり、スプーンが奥までグッと入ることがある。
まさにその感覚。
ぐりぃ〜っと奥まで突き刺してえぐり出す
それが深く考えるということ。
もう少し具体的に言うと、「縦方向の思考」である。
簡単に表現するなら「なぜ?」という質問を何回も積み重ねていくことだ(もちろんこれだけではない)。
とにかく縦に、深く深く掘り続けていくと、地下に流れている水脈まで辿りつく。まるで温泉を掘り当てた気分。
その地下水脈までたどり着くと、それは横方向に広がっていることに気づくことになる。
つまり、「思考の深さ」を追い続けることによって、「思考の幅」が生まれていくということだ。
浅い部分で思考が止まってしまう時、幅も狭くなってしまうのである。
〈日々、深く考え続ける。〉
さて、ここまで考えてきたことが、僕の人生のテーマの1つだ。
具体的にまとめると、「日々、深く考え続ける。そして地下水脈まで掘り下げて幅を作ること」である。
僕はこれを死ぬまでやり続けると思う。
おそらくそんな気がしている。
時に周りの人は「考えすぎだよ」と言うかもしれないが、それで良い。
それが僕にとって生きることであり、人生の課題でもあり、幸せでもあり、葛藤でもあって、そこから自由に遊ぶことができる。
そして、僕は対話を通して思考を深めていきたい。
「対話で思考を深める」というのが、僕にとってすごく幸せなことである。
〈おわりに〉
ということで、ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!
普段はstand.fm(ラジオ配信アプリ)をメインに、LIVE配信をしたり、根源的なテーマについて収録をアップしています。
ぜひ一緒に思考を深めたいので、お気軽に遊びにきてください(^^)
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