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遠い記憶のあつまり

はるか遠くの星の光が地球に届くまでに何年もかかるという話を知っていますか? わたしたちが今まさに見ている光が生まれたのは、実はずっと昔であるというものです。一体どういうことなのかをうまく説明するのはとても難しいです。ところが、なぜか直感的にはそのわけが分かる気もしています。

写真に写るものごとは撮影したその瞬間に過去のそれになります。しかし、それを見るという行為は必ず今よりも未来に起こります。つまり、写っているものごとはもう現実には存在していません。当たり前のことなのに、それこそが写真の本質であると気づいたとき、今、目の前に広がる光景に「懐かしさ」を覚えるという不思議な感情がどこからやってくるのか腑に落ちました。ああ、そうか、そうだったのか。

つまり、今がすでに懐かしいのは、未来の視点に立つ自分が過去という現在を見ているからなのだと。まるで未来の記憶を思い出すように、まだ起きてもいない未来に涙しながら、わたしたちは衝動的に終わりゆく今を写真におさめようとします。それは、ずっと昔に放たれた星の光を見ることにも似ています。

古代エジプトのピラミッドや奈良の古刹、ベトナムの遺跡を訪れたときも同じ種類の感覚に包まれました。かつてそこには誰かの生活があり、かけがえのない幸せがあったはず。夜空に煌めく星を眺めて愛を語らったのかもしれません。昔の人もまた写真を撮るように大切な記憶をさまざまなかたちで残したのだと思います。

何千年、何百年とそこに在りつづける記憶を通して、彼らの未来とわたしたちの過去は交錯します。わたしたちはその静かな佇まいを前にして時の旅へと出かけることができるのです。それは過去を思い出すのと同じように未来の記憶に出会うような感覚かもしれません。そうして千年前を想うことは千年先を想うことと同じなのだと気づくのです。写真も星の光も同じなんですね。

すべてが同時にあるその感覚には、もはや"時間"は存在しません。今、目の前にあるそれは過去であるのに、同時に未来でもある。わたしたちはたった一枚の写真を通して自由に時空を行き来するような視点が得られるのです。

そういえば人はみんな星の欠片からできたといいます。わたしたちの体を構成する元素は宇宙からやってきた… ああ、そもそもわたしたち自身がはるか遠い記憶のあつまりだったのか。写真を撮ることはそうやって時間を縫い合わせていくのと同じなのだと思います。わたしたちが確かにここに生きていたという未来への証なのです。

初出『TRANSIT THE LANDSCAPES』(2019/ユーフォリアファクトリー刊)

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