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主体的参加の「市民マラソン大会」


今年の初め、勤務地の「新春市民マラソン大会」の応援をしてきた。
大人も子どもも同じ目線でスポーツに親しみ互いに応援し合う、とてもよいイベントだった。

地域イベントというのは、完全なる有志参加である。
やりたい人だけが集まる。
これがいい。

そして、各々がそこに向けて練習、調整をしてくる。
そのため、そこで得る成果も、基本的に団体のものではなく、自分自身のものである。

一方で、学校対抗や校内の「〇〇大会」の類は、有志参加とは限らない。
また、下手すると指導者同士の競争になりがちである。
(これは運動会程度の校内行事であってもそうなる。)
気を付けないと、選手(子ども)がコマとなり、指導者の目的達成のための手段となってしまうこともままある。

学校、少なくとも公立の小学校は、競争することを目的に集まっている場ではない。
ただそこの地域の子どもだから、そこの学校に集まっただけである。
価値観も好きなものも全く異なる、多種多様な人間の集まりである。
クラス全員に共通している属性は「学区内の居住」と「生まれた年」のみである。

偶然集まった仲間同士で、無理に競争しなくてもいい。
遊びの鬼ごっこで、もう十分に走って競って楽しんでいる。

一方で、せっかくの好き、得意を生かしたい、他者と競ってみたいと思うことは健全である。
だからこそ、そういう人同士が集まって競う大会には意義がある。

学校で一斉に行う競争は、どう工夫しても必ず無理が生ずる。
先に述べた通り、各々の価値観や好きなこと、得意なことが全く異なるためである。

地域のスポーツ大会等は、この点が優れている。
原則として、自分の意思で出場を希望した者だけが集まるからである。

走ることは素晴らしい。
生涯体育の視点からも、学校教育においては生涯を通してスポーツに「親しむ」人間を育てたい。
だからこそ学校体育は「体力向上」や「技能上達」以前に「嫌いにさせない」を第一優先に考えるべきである。

ウィンタースポーツを思い浮かべてみる。
スキーやスノボを楽しむ人は多いが、それが「全員大会参加必須」となれば、どうだろうか。
自分の技能を試してみたいと思う人が一定数いる一方、多くの人にとっては楽しむ気持ちが萎える可能性の方が高い。
スポーツの本質は楽しむことであり、大会には「主体的参加」が望ましい。

自分自身、子どもの頃から走ることが大好きだからこそ、それを嫌いにさせるきっかけを学校が作らないよう願う。
そのために全員参加必須の「校内マラソン大会」を学校行事からなくすという選択肢はあり得る。
一方で、それをやれば必ず「走りたい子はどうなるのか」という議論になる。
代わりに、これら社会体育が実施するマラソン大会等を積極的に活用していくという手がある。

先月募集〆切になったばかりだが、今や千葉県の名物となった「アクアラインマラソン」など、わざわざ県外から参加者が来るほどの大人気ぶりである。
なかなか高額な有料イベントにも関わらず、抽選で当たらないと参加できないほどである。
生涯体育の視点からして、こういうことが大成功といえるのではないだろうか。
もし小学校時点で走ること自体を嫌いにさせれば、ここに参加しようと思う機会すら奪うことになる。

自分の力を試したい人には、きちんと挑戦の場が用意されている。
ただ日々のランニングを楽しみたいだけの人は、別に参加をしなくていい。
各々に選択肢があることが大切である。

これからの時代は、今まで以上にスポーツに親しみ、地域イベントを積極的に活用できるような教育が望まれる。

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