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保育者に送るおすすめのこの1冊

死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由 麹町中学校で工藤勇一先生から学んだこと:西川幹之佑:時事通信社

あくまで「著者の場合」という前提であって、発達障がい当事者の困りごとを包括的に理解するものではありません。しかし、私たちの想像力には限界がありますから、当事者の見えている世界観や考え方を理解する上でとても参考になりましたし、社会人としての姿勢を学ぶこともできる一冊です。

当事者の「嫌だったこと」「困ったこと」「嬉しかったこと」から学ぶ

著者は障がい特性ゆえに、いろいろな失敗や困ったこと、嫌な気持ちになったことを自らの言葉で率直に記しています。そして、「もっとこうしてもらえればよかったのかも?」という振り返りは保育者や学校の先生方にはとても参考になることでしょう。
確かに著者が通った学校(タイトルにもある麹町中学校)での教育が全国津々浦々で展開できるとは思いません。しかし、著者はその幸運に感謝しつつ、卒業講演の際にかけられたある言葉で一気に視野がクリアになった様子が伝わってきました。

「怒る」と「キレる」は似て非なるもの

社会人生活をしていると、やはり怒り狂う場面に出くわすことが少なくありません。私もそうです。
著者は数々のトラブル(キレる)の経験から「怒る自分を認め『うまく付き合う=正しく怒る』」ことを悟ります。著者にとっての最大の問題点は「『怒る』と『キレる』をごちゃ混ぜにしていたこと」だと気づいたそうです。
これは非常に共感できます。
たとえば保育者の場合も同様で、「怒り」が問題意識につながり、その怒りを成長へのエネルギーにできたら、きっとより良い保育を提供できるようになるでしょう。
大学教員である私も然りです。
学生に対する不誠実な対応は、自分自身も含めて「怒り」となります。「正しく怒る」ことは社会人として大事なことなのかもしれません。
私は会議でよく発言をします。時に煙たがられることもあります。
しかし、問題点を心に感じながらも黙して語らない(あとでヒソヒソ文句を言う)のは会議に出ていないのと同義だと思うのです。
また、「正しく怒る」ことは強い問題意識の表れです。専門職である保育士が「不適切保育」を目の当たりにしたならば「正しく」「怒らなければ」なりません。当たり前のことです。
もし、「正しく怒る」ことが許されない職場なら、組織としての成熟を放棄したのも同然です。
私には「正しく怒る」環境があって、感謝なことだと思っています(ですから、怒る相手を個人的な感情で憎まないで済むのです)。
本著の趣旨とは違うかもしれませんが、著者の思いが我々社会人の姿勢にも応用が効くのだなぁと考えさせられました。

「本当にすごい人、素晴らしい人は誰かのために頑張れる人です」

著者はこのことを麹町中学校の先生方の背中から学んだと言います。
全く同感です。
ただ、それは自己犠牲とは違います。
家族や休日を犠牲にして他者に尽くすというのではなく、他者のために頑張れる土壌があることが前提です。保育者の場合は、しっかり休息を取り、業務を適切にコントロールする管理者がいてこそ、先生を「他者のために頑張れる人」にするのでしょう。
誰かのために(保育者の場合は子どもや保護者のために)頑張るためには適度な休息、十分な評価(給与)、保育者間の良質な人間関係、健全な組織が必要です。
私自身も誰かのために頑張れる人、を目指し続けたいと思います。
著者は非常に若い青年です。
私が関わっている学生とほぼ同年代です。
また、若手の保育者さんとも同年代です。
「本当に素晴らしい人」「本当に素晴らしい保育者」を養成校と現場で協働して育てていけたら良いなぁと思いました。

まとめ

本著は発達障がいを抱え、悩み、苦しみ、「死にたかった」思いまでした著者が、様々な出会いや経験によって前を向いて歩き出す姿が書かれています。保育者にとっては障がいの特性を知る上でとても有益です。加えて、著者の見方から社会人としてのあるべき姿を垣間見たような気がします。まさに一挙両得です。
ご興味のある方はぜひお読みください。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。



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