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◆デザフェス後記①:「10年ぶりのアートイベントへの参加とアニメ会社就職の話」

先月、東京ビックサイトで催されたアートイベント「デザインフェスタ」に出展した。
図らずして、ちょうど10年ぶりの参加になり感慨深いものがあった。

過去4回ほど参加したことがあるのだが
それも遠い昔のはなしで
美術大学を卒業し、就職をせずフラフラしていた時期に
年2回のイベントに4回続けて参加した。

10年の期間を開けての参加。
何かきっかけがないと、そうならないわけで
出展に思いいたった経緯を
その長い期間の仕事の話を交えて書きたいと思う。


●イベントに参加していた頃の話

学生の当時、周りと同様に就職活動をした。
自分の興味があるアニメやゲーム会社に何社か受けたが
採用まで至らなかった。
2009年の自分の達の時代は就職氷河期といわれる
就職難の時期であたったが
目指す業界はあまり世相に左右されなかったと感じるので
単純に実力不足もしくは運が無かっただけだと思う。

しかし、当時はそれに執拗に悔やんだり、大きな焦りもなかった。
それというのも、学生時代から取り組んでいた絵について
素人なりにも「独自の表現」や「絵を追求したい」という欲があり

その時は直ぐにでも働くことを望んでいたわけでもなかったからだ。

●当時描いていた絵
浮世絵の影響をうけ、平面ながらも立体感や動きのある表現考えていた。 今見ると、過度に細かい描き込みがされていて 時間を気にせず描いていたを思い出す。

近所のマクドナルドでバイトをしながら
実家でパソコンに向かい絵を描く日常。
一枚のイラストに何週間と時間をかけて描いては
それを印刷して額装したり、ポストカードにして
都内で催さるアートイベントに参加し
イベントに来たお客さんに観てもらう。
この頃は、それがひとつの目的になっていた。

その過程で、イラスト仕事の依頼もあったが数は少なく
創作だけで生計を立てることは難しかった。

そうこうするうちに、大学を卒業してから気づけば2年の時間が過ぎ
20代も半ばにさしかかっていた。
人並みにようやく将来の焦りも感じはじめ、就職を考え会社で働き始めた。

●当時のデザインフェスタ参加の様子
若いので参加費や備品の予算もバカにらなず
壁なんかはステンレスラックのパイプに布をかぶせたお手製だった。
●似顔絵
イベントでは似顔絵も描いた。
数百円もらい、その場でお客さんを描く。
お客さんが目の前で喜んでくれるのは直接的な感動があった。


●アニメ会社への就職の話

入った会社は「東映アニメーション」で
プリキュアやワンピースなどを制作しているアニメ会社。
選んだ理由は
尊敬する作家のひとりの宮崎駿が若い頃にいた会社であったこと
もう一つは
子供向けの作品に関わりたいという想いを持っていたことだった。

また、新しいことを始めるのならばと
自分の表現の幅を広げる意味でも
慣れ親しん手描きではなく3DCGの部署を選んだ。

イベントに参加していた2年という時間は決して無駄ではなく
3DCGは、これまでの手描きの絵とはまた表現は異なるが
イベントの為に描いてきた複数の絵を担当の方が気に入ってくれて採用された。

最後に参加したデザフェスが2011年の春で
その半年後の10月に社会人として仕事を始めた。
それを最後にイベントというイベントに参加することはなかった。

●会社時代の写真
会社時代の唯一残っている写真。
当時は、仕事覚えるのに終電まで作業したり
締切前には会社で徹夜することもあった。

宮崎駿を学生時代から、ずっと追っていたのだが
どこかのインタビューの言葉に
「仕事の作品の隙間で自己表現をする」というのがある。

仕事は会社の意向や商業的な目的があり
監督などの全体を指揮する立場であっても
決して作品を好き勝手にできるものでない。
ただ、多くの制約の中、どんな仕事にも「隙間」があり
そこで、こっそりと自分の「趣向」や「やりたいこと」をやるのだ!

という、「仕事の中に創作の余地を見出す」処世術のような教えだ。
この言葉が今も、自分にとって仕事をする上での志になっている。

会社に入り仕事をするようになって以降、自然と仕事に注力することになり
行き帰りの電車の中や帰宅した深夜などに
簡易なイラストや物語は描いてたものの
イベントに参加していた時のような
緻密なイラストを描くことは減っていった。

その代わり、宮崎駿の教えを信奉し
仕事の中で創作欲のようなのを満たしていたのだと思う。

●会社時代の創作の絵
会社の仕事をやりながらも、鞄にスケッチブックをいれて
学生時代のように、確り色を乗せることはないが
創作や想像性忘れないようにしていた。


●会社を離れフリーランスになった話

ワンピースやドラゴンボールからプリキュアまで
3DCGや背景美術の仕事で多くの映画やTVアニメ作品に参加した。
小さい仕事から大きな仕事まで数えてみると31作品あった。

■2012年:映画「ワンピースフィルムZ」 CG背景制作(モデリング、パースマップ、レタッチ)
■2013年:映画「ドラゴンボールZ 神と神」 イメージボード、CG背景制作(モデリング)
■2014年:映画「プリキュアオールスターズ 春のカーニバル」 ステージデザイン(美術設定)

・ガッツリと関わった代表的な作品

会社に入り4年ほど時間が過ぎたころ
3DCGの仕事がメインではあったのだが
絵も描けるということもあり手描きのデザイン仕事をまかされた。

映画プリキュアのダンスステージを複数作るという仕事だった。
この仕事が面白かった!

デザイン制作にあたりテキストでのイメージの指示はあるものの
アイデアから絵作りまで創造的な発想が求められた。
後々、その作業が大きく言えば「デザイン」であると理解するのだけど
会社に入る前の自由に絵を描いていた頃にやっていた
テーマを考え一から画面を作っていく作業に近いものがそこあり
前のめりで絵を描いていた頃の感覚を思い起こさせ
改めて、新しいものを発想すること
直感的に絵を描くことの面白さを感じた。

今考えると思いで補完かもしれないが
確実にこの時の仕事が自分のターニングポイントになっている。

それまでにも、手描きの作業もやらせてもらったが
ここで一気に絵を描くことへの欲求が再燃し
改めて絵やデザインを追求したいと思い高まり。
会社を離れ心機一転フリーランスとして
手描き仕事をメインに活動することを決めた。


経験は次の場所で生きてくる。これはなんとなく思う。
イラストがきっかけで会社入ることができたように
3DCGのパソコン上でリアルな空間で形を作る作業は
パースや空間把握の目が鍛えられ
物を平面でデザインする今のデザインの仕事にも生きている。

きれいに終わろうと思ったが
経験というのは、こんな感じで助けにもなるが
一方で、煩わしさでもあることを30代のこの年になって気づく。

つづく


※あとがき

最後まで読んでくれてありがとうございます。
12月24日の朝方に、デスクライトの下で文章を編集しています。

自分語りというのは恥ずかしいですが
近いうちに創作をまとめたイラスト集なんかを作りたいのと
10年の区切りもあるので、過去をまとめています。

過去の経歴を文章にすると
良い部分んがピックアップされたり
挫折も美談のように映ってしまいますが
基本、自分の生活の怠惰でマイペースで
それらを、そぎ落としたようなものになってしまいます。

イベントに参加した2日間のことを書こうと思っていたのですが
参加の経緯を話そうとしたら長くなってしまいましたが
よかったら、お付き合いください。

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