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逃避の散歩 103.文京区鉄道駅ラリー(その1:新大塚駅~千駄木駅)

今にも雨が降りそうな天気のJR大塚駅南口にいる。

ここから左にある大塚駅南口交差点から上り坂の南大塚通りを南下し、文京区に入って同区内の鉄道駅を通過していく。東京メトロ江戸川橋駅と都営(三田線、大江戸線)春日駅は新宿から上野まで適当に歩いたとき(25回)に通過しているので除外した。

順番は以下の通り。今回から東京メトロの駅は複数の路線が通っている駅を除き、路線名で記すことにする。

丸ノ内線新大塚駅→有楽町線護国寺駅→丸ノ内線茗荷谷駅→都営三田線千石駅→都営三田線白山駅→南北線本駒込駅→千代田線千駄木駅→千代田線根津駅→南北線東大前駅→都営大江戸線本郷三丁目駅→丸ノ内線本郷三丁目駅→千代田線湯島駅→丸ノ内線御茶ノ水駅→都営三田線水道橋駅→東京メトロ後楽園駅

4つ目の南大塚通り南交差点を越え、都道254号・春日通りと合流することを知らせる案内標識が見えてきたら最初の駅出入口はすぐだ。

7分ほどで新大塚駅1番口前に到着。同時にここから文京区となる。そして時間も改めてカウント開始。このまま奥にある安全島から春日通りを渡り左折し、大塚五丁目交差点の信号前を右折してすぐ左へ。

乗用車1台分の幅しかない坂道を下り、合流する通りをそのまま直進。左右に蛇行しながら坂下通り交差点に出る。この交差点がある坂下通りを上ると前回の豊島区駅ラリー(102回)のおまけで通過したサンシャイン60ビルの文化会館側へつながっている。だが、これから進む方向は逆だ。

交差点から南側に進んですぐ、右側に吹上稲荷神社の鳥居が見えたら、横断歩道があるので渡って歩道を変更してまた南下し、都道437号・不忍通りの坂下通り入口交差点に出て右折。ここで雨が降り始めた。

8分経過、護国寺惣門前を通過。

あの『あしたのジョー』の力石徹の墓がある寺という設定にされ、実際には梶原一騎と大山倍達の墓がある、あの護国寺である。

もう、『あしたのジョー』や『空手バカ一代』などといった梶原一騎原作のような情報の少なさを逆手にとったデタラメな物語は作れないんだろうなと思いつつ、進んでいるうちに雨の降りが強くなってきたので、バッグから折り畳み傘を取り出して差す。

9分経過、都道435号・音羽通りと合流する護国寺交差点を左折する。ちなみに、このまま直進すると首都高速5号池袋線の高架があり、それに沿って北側を進むと都電荒川線東池袋四丁目停留場、有楽町線東池袋駅と前回通過した豊島区の道とつながっている。

音羽通りに入ってすぐ、有楽町線護国寺駅3番口前を通過するが、駅名板がうまく撮れないのでこの先の出入口で通過証明を撮ることにする。

江戸川橋方面へ進み、『あしたのジョー』が掲載された週刊少年マガジンの発行元である講談社の社屋(トップ画像はその旧本館)が見えてきたところの横断歩道を渡った先に、通過する出入口がある。

12分経過、東京メトロ護国寺駅5番口前を通過。

先の大塚警察署前交差点を左折し、筑波大学附属中学校・高等学校とお茶の水女子大学の間を長い坂を上る。筑波大附属中前交差点に差しかかるあたりで上り終わり、そのまま直進。区立新大塚公園の前と跡見学園前交差点を通過し、大塚一丁目交差点で春日通りに再び合流する。

右折して少し上りになっている道を進む。交差点が見えてきたら次の駅の出入口はその横にある。

22分経過、東京メトロ茗荷谷駅1番口前を通過。目の前の横断歩道を渡って左折し、大塚警察署茗荷谷駅前交番がある下りの道に入る。

この辺りは公立、私立、国立を問わずに小中高大と各種学校が集まっているのだが、何か理由があるのだろうか。以前から気になっていて、調べてみようとは思うがつい忘れてしまう。

最初の交差点を渡り、筑波大学東京キャンパスの隣にある教育の森公園に入る。隣接する文京スポーツセンターとの間にある下りを抜け、同施設の裏にある駐車場の横断歩道を渡って十字路を越えると再び不忍通りに合流。そのまま東側へ直進する。

長く緩やかな下りになっている道を進むと、千石三丁目交差点で都道436号・千川通りと交差する。名前こそ同じだが、豊島区から練馬区までつながっている都道439号線とは別の道だ。

ここから左折して北上したJR大塚駅のあたりまでは豊島区の駅ラリーで横切ったプラタナス通りと名称が変わる。逆に右折して10分ほど歩くと東京大学の付属施設である小石川植物園の正門がある。

横断歩道を越えて猫又坂を上り、林町小学校入口交差点で平地になったかと思いきや、次の文京十中入口交差点からゆるやかな下りになり、次の明化小入口交差点でまた上りとなる。

42分経過、千石一丁目交差点に出る。豊島区駅ラリーでも西巣鴨駅から巣鴨駅間で通った国道17号・白山通りと交差している。ここから右折して同通りに入る。

この際なので言っておくと、この後で不忍通りと再び合流する。今回は春日通り、不忍通り、白山通り、本郷通りの各通りを一度は離れて再合流する道のりで構成している。

43分経過したところで東京メトロ千石駅A4口とエレベーター口、その1分後にA2口の前を通過して国道17号線と都道301号・白山通りが合流する千石駅前交点で信号待ちし、横断歩道を渡って右折し白山通りの下り坂に入る。

52分経過。東洋大学白山キャンパスと京華学園の前を通過すると大きな交差点があり、そこから左横にある京華通りという商店街を抜けて白山下交差点に出る。そこを左折して上りとなっている都道301号・旧白山通りを進むとすぐのところに駅の出入口が見える。

56分経過、都営三田線白山駅A1口前を通過。そのまま道を上っていく。

同駅A3口を越え、白山上交差点で白山通りと都道452号・神田白山線に合流。横断歩道を渡って都道452号に入って最初の角を入り、1車線分しかない細い道を直進する。道を抜けると本郷通りの本駒込歩道橋の前に出る。

右折して駒込警察署浅嘉交番の前を通り、その交番と向丘二丁目交差点の中間のあたりで右側に駅の出入口を見つける。

1時間1分経過、東京メトロ本駒込駅1番口前を通過。そして向丘二丁目交差点を左折し、神田白山線に戻る。

上下2車線でありながら路肩の歩道も十分にあって歩きやすい直線がしばらく続き、駒込学園前交差点を越えたところから右へ少し曲がる。そこからさらに信号を二つ越えたところで、森鴎外の旧居の一つかんちょうろうの跡地に建てられた区立森鴎外記念館の前を通過する。ここで1時間9分が経過。

森鷗外もそうだけど、この辺りに住んでいたとされる明治大正期の作家のエピソードは面白いものが多いと思っている。たとえば鴎外ならば『舞姫』のモデルの件や医師としての実績の問題、潔癖症で風呂嫌い、下戸で甘党などがそれにあたる。

ただ、エピソードは面白いと思いつつも、冷静に見ればいろいろと面倒くさい人でもあり、それに家族が振り回されていた例は多かったんだろうなと思うと結構複雑な感情も芽生える。あの当時の作家は生きた時代が幸いしていたんだなとも思う。

この記念館の先の団子坂上交差点から勾配のある団子坂を下り、途中で右へ少し曲がりながら団子坂下交差点に来たところで再び不忍通りと合流。同交差点を右折すると次の駅の出入口が見えてくる。

ちなみに、この交差点を直進すると最初の信号を越えたところで台東区になり、谷中墓地に出る。また、その信号を左折すると以前JR日暮里駅からJR駒込駅まで歩いたとき(14回)に通り抜けた谷中銀座がある。

1時間11分経過、東京メトロ千駄木駅1番口前を通過。

ここで折り返しとなり、このまま不忍通りを南へ進む。

(その2:根津駅~後楽園駅)に続く。