日常哀歌「線香花火」since 20070822
※この記事は某花火祭りに行ってきた帰りの2007.08.22に書いたものを加筆修正したものになります。
-----------------
線香花火 -A handful of hope-
薄暗い夜道を照らすのは、一片の小さな灯火。
ささやかな光源だったけど、闇を侵す輝きはそれだけだったから
線香花火の火花は私の目を惹くには充分な存在だった。
- 私は空と同じ思いで、この心に水をあげる -
醜いものを吸収しすぎて灰色にくすんだこの体でも
感情を動かす情報を配合すると、意図せず湧き出る液体がある。
濁りきった体から吐き出された水は、
果たして、澄んだ色を見せてくれるのだろうか。
このとき、植物というものは尊大なのだと気付かされる。
種類によっては泥水の中でさえ生息できるその生物は
つまり養分を吸い上げる過程で、
なにかしら汚染を浄化する作用をしているということになる。
どう濾過されているのかはよく知らない。
ただ、それが彼らの生命に活かされているということは明確である。
- 私は空と同じ思いで、この心に水をあげる -
空は星が瞬くこともなく、都会の明かりによって
むやみに照らされた、雲という腹部をさらすだけ。
雨を降らすのは、この人の手に塗り潰された灰色の塊だ。
地上に降りては排水溝に除かれるだけの涙を
しかし花はそれを取りこぼさず、美しく咲き誇るための糧とする。
ときに唸りを上げるほどの怒りも、その悲しみも
スベテ受け止めて、自然は咲くのだ。
- 私は空と同じ思いで、この心に水をあげる -
きっと、私自身はあらゆる知識と経験で蝕まれようと
流れた涙はこの心を癒すだろう。
そして何度も求めるだろう。
心も花も、物理的衝撃の前にはかくも儚く壊れやすい。
だから……何度も求めるだろう。
泣くという行為は、だから心を癒してくれるのだろう。
薄暗い夜道を照らすのは、一片の小さな灯火。
ささやかな光源だったけど、闇を侵す輝きはそれだけだったから
線香花火の火花は私の目を惹くには充分な存在だった。
その線香花火を見て笑う少女を見た。
心もとない炎に照らされた笑顔が、そこに咲いているのを見つけた。
おちる おちる おちた。
ねぇ もっとみたい
彼女は短命の光を何度も求める。
彼女は短命の光を何度も何度も求める。
彼女は短命の光を何度も何度も求め続けた。
私はその少女の笑顔をもっと見たいと思った。
私が無くしたと思しき無垢な笑顔に――
私の心は水を得た。
Afterword -20210916-
二子玉だったか多摩川だったかどっちの花火大会に行ったかは覚えてないのですが、なんかめちゃくちゃ人が多くてうるさいだけの場所に行ってきた帰り道だったせいか、一つの睦まじい家族を見かけたときにあぁほんとの幸せって人の欲望に絡んでないこういう景色のことを言うんだろうなぁと思うと同時に、なにたったいま自分も楽しい思いしてきたくせに悦に浸ってんねんとか自責したものです。
でもでっかい花火大会行って楽しかった感情も、ささやかな花火大会を眺めて抱いた感情も紛れもなく自分の感情だということをちゃんと抱えて、年齢を重ねていければいいですね。
あと、なんかこれがキモだと言わんばかりに
私は空と同じ思いで、この心に水をあげる
なんて書いてますが、これどこで聴いたんだっけかなと考えて思い出しました。
Rayというバンドのskyという楽曲に
私は空と同じ思いで枯れた心に水をあげる
という歌詞がありました。
無意識で言葉を拝借してしまってること……他にもありそうで怖いなぁ。
最後まで長文お読みいただき誠にありがとうございました。 つっこみどころを残してあるはずなので 些細なことでもコメント残してくれると嬉しいです!