広い地球のほんの一部
「正解とは、真実とは、本人が最も納得できる仮説にほかならないのです」
森博嗣 短編小説集「地球儀のスライス A SLICE OF TERRESTRIAL GLOBE」
「正解」って何だろう。
大人になれば、自分は賢くなるのだと思っていた。
大人になれば、自分は迷わなくなるのだと思っていた。
実際にはそんなことはなかった。幾つになっても人生という道に迷ってばかりだし、年を取れば取るほど愚かになっている気がする。
知識は付いたけどね。同時に、脂肪も付いた。お腹にではなく、心に。
どんどん、どんどん、重くなる。
大人になって、社会のことを少しだけ知って、人の社会というのは、単純な善悪だけで動いているわけではないと気付いた。様々な立場の利害や思惑が複雑に絡み合っている。短期的な損益や長期的なビジョンもあるし、同時進行で様々な事柄が絶え間なく流れていて、さらにそれらが相互に影響を及ぼし合っていて、「どの段階で」「どの範囲を見て」評価するのが良いのかさえ不透明だ。
結局のところ、社会においては「正解」などと呼べる明確な答えは存在しなくて、「最適とは何か」を問い続けることしかできないのだと思う。
改めてコロナ騒動での世間の反応を見ていると、冒頭の森さんのフレーズが刺さるなぁと思って筆を執った(キーボードだけど)。
「正論」「常識」そんな力強い言葉がネットには散乱している。
だけど、その論拠は何?と常々思う。その正解は「あなたの中だけ」での正解でしょう?
様々な人が、独自の観点で独自の感想を述べていて、確かにその観点からすれば一理あるなぁと思う(欠片ほどの理も感じられないような意見が多数あるけど)。1億人いたら、1億人の意見がある。それを唯一の意見にまとめることなど不可能だし、敢えてそれを「極力」まとめて、最大公約数の利を得ようとするのが政治の役割である。政治は万能じゃないし、全員が納得することなどできない。そもそも絶対の正解など、存在しないのだから。
にもかかわらず、「常識で考えたら」とか「正論を述べさせてもらうと」などという高圧的な枕詞を頻繁に見かけるのはどういうことだろう。繰り返すけど、それは「あなたの」常識でしょう?と思う。
極小範囲で見れば、確かにそれは正解かも知れない。だけどそれは基本的には、あなたの周りの極小範囲にしか適用できない考え方だと意識しておくべきだ。意見がぶつかるのは、みんなそうやって自分にとっての「正解」を持っているからだ。
あなたの主義主張の主語は、「みんな」とか「世間」とかそんな大きなものではなくて、「自分」という一人称単数であるべきだ。あなたがそれを正解と判断した基準は、「あなたが納得したかどうか」だけなのだから。
もしサポートしていただけたら、本を買おうと思います。心を豊かにして、良いアウトプットができるように。また貴方に読んでもらえるように。