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コラム 20 障害者とは?

私は最近、障害者、支援そして福祉などの言葉に触れる機会が多い仕事に関わりだしました。

そこで改めて「障害者」という言葉の意味を再確認してみようと思います。
体感や直感からのものや、辞書に載っている論理的なとらえ方もありますが、できる限り簡単にまとめてみたいと思っています。


まず、次の2つを明確にすることからはじめていきます。

  • 「障害」とは何なのか?(言葉の意味だけではなく、障害者における障害のことです)

  • 「障害」の持ち主は誰なのか?


「障害」とは何なのか?

障害者基本法における「障害者」とはこのように定義されています。

「身体障害、知的障害又は精神障害があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」


制限を受ける者とは

後の文の「継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」にある「制限を受ける者」に注目します。

これは、人が普通に暮らしていく上で、制限を受ける(困難に感じる)場面があるということです。例えば、歩きにくいことや、目が見えにくいことなどが思い浮かびます。

そして、その程度が「継続的に相当な」の場合、これらは肢体不自由や視覚障害などと呼ばれる身体障害に当てはまります。

継続的でない場合や、相当ではない(程度が低い)場合は障害者には当てはまりません。

足を骨折して歩きにくい場合や、私も視力が悪い(見えにくい)のですが、松葉づえやメガネをかけていることを障害者だと意識したことはありません。

「相当な」という言葉には、ある定められた一定のラインを超えた場合という意味があるのでしょう。現に視覚障害にしても肢体不自由にしても細かく等級分けがなされています。


障害があるとは

次に、先の文の「身体障害、知的障害又は精神障害があるため」にある「障害があるため」という言い回しには主語が明記されていません。しかし、障害者の定義としての文章なので、主語は障害者なのでしょう。
ということは、障害を持っているのは障害者だと言っています。

これは障害者は障害を持っている。と言っているように感じます。しかし、先程までの説明で、障害とは簡単に言うと「日常生活で困難と感じること」であり、その状況や環境のことです。

一般的に障害者は、「日常生活で困難を感じる人」という言い方で言い換えられます。困難を困難と感じない方もおられるでしょうが、先の説明の通り、その程度により、ある一定のラインが定められているということです。

障害の捉え方を簡単に言い替えると、運動会の障害物競走でいう障害物を思い浮かべると受け入れやすいかもしれません。
「障害物競走で障害とは何のことですか?」と聞かれれば、皆が跳び箱であったり平均台のことを指すと思います。跳び箱をひと跨ぎにできない選手や、平均台でフラついてうまく走れない選手に対して障害を持っている人だとは言わないでしょう。

「障害」の持ち主は誰なのか?

ここまで障害についてまとめていると、障害と言う言葉は、個人に向けて使われるのではなく、その個人が置かれている状況や環境に向けて使われているようです。

障害者とは「障害を持っている人」ではなく「世の中の状況に障害を感じている人」ということになります。
障害者とは、障害の持ち主ではありません。

視力が下がってしまったとしても、メガネで補正できるうちは障害とは言いません。科学医療の発展で、今後どこまで視力の回復が見込まれるのかは解りませんが、仮に、日常生活で困らないほどに回復できる世の中になったとしたら、視力障害という言葉はなくなるのかもしれません。

つまり、障害の持ち主は環境なのです。個人ではありません。個人は障害を感じる人のことです。
そして、その感じ方が「継続的に相当な場合」に当てはまると、その感じる人のことを障害者と呼んでいるのです。

障害に対するこの考え方は、障害者に接する場面にまず理解しておかなければいけない部分かと感じています。


この文章は、うまくまとまりきれていません。今後ときどき書き直しつつ修正していきます。

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