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【エッセイ】学校サボって弁当

中学三年生の頃から諸々の事情で高校生のための下宿で暮らしていた。
学校と自宅が離れていて通学が大変な高校生が共同生活をする下宿で、僕のほかに男子七人・女子二人の学生がいて、それぞれ通っている高校も部活も違うがそれなりに平和に過ごしていた。特に僕は唯一の中学生だったこともあり先輩たちによくしてもらった。
僕の事情を呑み込んで迎え入れてくれた下宿屋さん一家にも本当にお世話になって、それまでほとんど勉強をしてこなかった僕は高校受験に向けて、下宿のお姉さんに夜はほぼ付きっきりで母屋の仏間で勉強を教えてもらった。
そのお陰もあって無事高校に合格したのだが。


高校に入って初めての夏休みが終わり、長袖のシャツを着るようになった頃、僕は学校をサボるようになった。
行きたくない理由は人付き合いが下手でクラスメイトに嫌われていたことと教師を含む学校の雰囲気が嫌いだったこと。自分なりに必死に勉強して入ったのは市内に四校あるうちの下から二番目、公立では最下位の学校でヤンキーとオタクが多かった。僕はどちらにも馴染めずに疎外感を感じていた。

下宿でも息苦しさを感じるようになっていた。中学二年生まで母親の元、放任主義的に育てられた僕にとって他人を常に意識する生活は負担だった。母親は「自分は好きにするから、お前も好きにしたらいいわ」というタイプの人間で、僕が自分の部屋で何をしていようと特に口出しするようなことはなかった。
そんなふうに育てられたから、下宿の集団生活、そして今思えば当然の責任感を持って僕が悪い方向に行かないように厳しくしてくれていた下宿の人たちへの勝手な不満が溜まっていた。

もう一つ、高校生になってできた恋人にフラれて半ば自棄になっていたことも原因だった(実はこれが一番ダメージ大きかったかもしれない)。

何度目かのサボりの日。それまで市内を流れる川に架かる橋の下なんかで何をするでもなく時間を潰していたが、その河川敷で近所の中学校が体育の授業をするようになって僕は逃げ出した。教師と生徒というものを見たくなかったし高校に連絡されて面倒なことになっては困るからだ。

それで仕方なく宛てのないまま自転車でふらふらと町中を彷徨い、ある場所に辿り着いた。それは学校へ向かう道の途中、子供の頃から何度も見てきた市内で一番高い山の麓にある神社だった。
自転車を停めて、鳥居の先を見上げるとなぜだかここで休んでいこうと思えた。境内へ向かう急な石段とは別に山を登るための緩やかな登山道もあったが、僕はノートと弁当しか入ってないリュックを背負って石段を上った。

高校に入って運動していなかったせいか思ったよりも石段を上るのに疲れてじんわりと汗をかいたが無事境内に着いた時、鬱蒼とした木々の間を抜けた風が吹き抜けていった。こじんまりとした社殿と奥には社務所があって参道には灯篭が立っている、いわゆる普通の地域の神社。僕は石段の一番上に腰かけて息を吐いた。ようやく呼吸が軽くなった気がした。

空腹を感じてリュックから部屋番号が書かれた弁当箱を取り出すと一気に食べた。どれだけ食べてもしばらく経てば「腹減った」と言い出すような高校生たちが食べる弁当だからとにかく弁当箱自体が大きい。中身もとにかくお腹に溜まるもの、パンチのあるものが入っていて食いでがある。
お腹が満たされたあとはオリジナル曲の歌詞を考えたり自分の感情を書いていた雑記帳のようなノートを広げて考え事をしたりしていたが、気づけば手摺に寄りかかって眠っていた。

目を覚ますとすぐ近くで「サーッ、サーッ」という音がした。寝ぼけた頭で強めの風が葉っぱを揺らしている音かと思ったが、すぐに音の質感が違うことに気づいて音のする方向に顔を向けると紫色の袴を穿いた神主さんが参道を箒で掃いていた。
あまりにも静かだったから誰もいないのだと勘違いしていた僕は焦って神主さんに向かって「こんにちは」と挨拶した。すると神主さんも挨拶を返してくれて「よく眠れましたか」と僕に訊いた。なんだか恥ずかしくなった僕は曖昧に返事をして側に置いていたノートや弁当箱をリュックに詰め込むと頭を下げて階段を下りた。

なぜ怒られなかったのだろうと不思議に思う。
誰かに見つかって怒られるのは面倒だと思いながら着替えるのが面倒で制服のままうろうろしていたから、大人に会うときっとなにかしら叱られたり少なくとも小言は頂戴するだろうと思っていたのに、あの神主さんは僕を責めるようなそぶりは一切見せなかった。
もしかしたら厄介な若者に関わりたくないと思ったのかもしれないし、真相なんかはわからないが、当時の僕にとって一つの救いのような経験だった。

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