2:生きる糧を頂く
0歳のころのことを書こう。
とはいえ、覚えているわけではないので、今回も母の記録が頼りだ。
私には、4つ離れた姉がいる。
行かなくなって久しいけれど、大人になってからも一緒にカラオケなどに出向いていたことを考えれば、わりと仲のよい姉弟なのだろう。
兄弟姉妹の仲のよさなど、自己申告でこうだと断定して言うのは簡単だが、実際のところはよそとの比較が難しいことなので、なんとも判断に困るところではあるが。
そういえば昔、同級生の姉が、ちょっと口に出すのもはばかられるような言葉で弟を罵っていたことがあったっけ。罵られてもヘラヘラしていて、普段からなにかといい加減だった彼はいま、どうしているんだろうか。
一方、幼いころの私と姉は、口喧嘩をすることはあったものの、互いにそういった汚い言葉を投げつけたことは一度もなかった。もともと遣う言葉の引き出しに入っていないものは、遣いようがないということだろう。
そういえば、右も左もわからない幼いころは、姉とよく一緒に遊んでいたものだ。
さて友人たちと遊ぼう、というときの姉にとっては、おそらく邪魔になることもあったと思うが、よく着いて行って加えてもらっていたのを覚えている。
とすれば、遊んでもらっていたというほうが正確だろうか。
そんな私は、姉のあとを追うことがよくあった。尾行する追っかけまわすという意味ではない。
たとえば、音楽を聴きはじめたのが同世代よりも早かったところなど、姉の影響だろうと思う。ことさら真似をしようとしているわけではなく、4つ離れているとそういうことが起きるものだ。
そもそも、私は姉のあとを追うところがあったようだ。
さすがに0歳の水疱瘡のことは覚えていないが、思い返せば小学生のころだったか、インフルエンザなども姉の後追いをして罹っていたような気がする。
ほかにもいろいろとあるはずだが、きっかけもなく次々に思い出すものでもないので、また追々書いていこう。
いわゆる「お食い初め」の儀式らしい。聞くたびにほかに言い方はないのか、と思ってしまう。お子様がお食いになるのか。
調べてみたら100日祝い、百日祝いともいうらしい。すみません、私が無知でした。
母の手記の文末に「元気に育ってね」の言葉が添えてあった。
仕事で体調を崩した私がいま読むと、なんとも申し訳なさがこみあげる。
私は元気に育ったのだろうか。
快調なことのほうが少なくて、しばしば心配をかけたことだろう。
いまでも心配をかけているに違いない。
ちょっとばかり潔癖症的なところがある現在の私からすると、考えられない行動である。なんでも掴んで口に入れる時期が、確かに私にもあったのだ。だとすれば、いつから潔癖症気味になったのだろう。心あたりはない。紐解いていけば、いつかたどり着くのだろうか。
そして、大きな声で笑っていたのか。0歳の自分の屈託のなさに、なぜか少し悲しくなる。
このあたりが、なんとも私らしい。急になにかをはじめてみせる。
先にあった米粒の件もそうだ。しれっと済ませている。
これが意表をついたり、サプライズ好きなところの片鱗だと考えるのは、さすがに早計か。
こういった、周囲からは「突然」やったように見えることも、本人は熟考に熟考を重ねていたりするので、わからないものだ。
喜んでもらったり楽しんでもらうことに関して、人知れずコツコツと準備をするのが私である。
なんと、それまで歯がなかったのか。ちょっと考えればあたりまえだが、自分に歯がないころを私は知らない。
老いると子供に戻る、といった話を聞く。
いまは全部の歯があるけれど、やがてなくなって、このころに戻っていくのだろうか。いや、きちんと手入れを続けて、生涯自分の歯で食べよう。
そういえばサメは何度でも歯が生え変わると聞くけれど、人間の歯がそうならなかったのはなぜなんだろう。ああでも、人間の歯が抜けてまた次が生えてくるところを想像すると、なんだか不気味な気もするな。なんの話をしているんだ。
また「急に」這うようになっている。
きっと本人的には、コツコツと準備をしていたんじゃないかな。
特殊な実験をされていた、というわけではないらしい。
母乳、あるいは母の仕事中に、同居していた父方の祖母がミルクを与えた記録、だそうな。
それが残っているということに驚きを隠せないが、いろいろと残してあるのにこれだけつまみ出して捨てる、という選択肢には至らないか。
母もマメな人だが、祖母もそうだったことを思い出す。
私の記憶では、同居していた父方の祖母は「厳しい人」という印象が強い。眼光鋭く、手厳しく、容赦ない。よく聞くような「孫に甘いおばあちゃん話」は、私にはまったくないんじゃなかろうか。
そんな祖母の話は、またいずれ書くとしよう。
▼前回の記事はこちら。
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